南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

へんろ石 - 第31番札所五台山竹林寺の裏門入口・石灯篭の脇

へんろ石(高知市五台山)

[ 高知県高知市五台山 ]


四国霊場第31番札所五台山竹林寺の裏門入口左にある石灯篭の脇に、このへんろ石があります。

左手一本指で、入口を指しちょります。

京都の人が建てたようです。

へんろ石(高知市五台山)

右が裏門入口で、正面の石段を上るとTV塔や展望台があります。


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天狗岳不整合 - プレートの激しい地殻変動を物語る高知県天然記念物

天狗岳不整合(香美市土佐山田町入野)

[ 高知県香美市土佐山田町入野 ]


土佐山田の方から県道254号線をJR繁藤駅方面に上って行くと、休場ダムの約1Km下流の土佐山田町入野・休場集落の南の道路脇に説明板と天然記念物の碑が建っちょります。

天狗岳不整合

高知県指定天然記念物(昭和二十五年六月二日指定)

対岸の白木谷層群チャート壁の下流約30mほど、岸壁の終わるあたりの河床部近くに、領石層基底礫岩が約0.7mにわたり5~15cmの厚さで密着している。
基盤の白木谷層チャートは、約2億年程前太平洋海底に堆積してできたものであり、その上部に堆積したと見られる領石層基底礫岩は、今から1億数千万年前の中生代白亜紀前期に海底に堆積してできたもので、両層の間に数千万年の空白がある。
つまり白木谷層チャートが海底に堆積した後に再び海底に沈降し、その上に領石層が堆積したのである。
即ち不整合で、西南日本外帯の地史や領石・物部川の地質を研究する上で、必要欠くことのできない貴重な資料である。
この不整合は西は上倉ハ京に続き、東は佐岡の中後入の間で同様の不整合が見られる。

1949年平田茂留調査報告

昭和63年3月 高知県・土佐山田町教育委員会

【 参考・引用 】  説明板より


天狗岳不整合があるのは、対岸の新改川右岸になるがですが、位置の詳細説明も無いし、木々も生い茂げっちょりまして詳細な写真は撮れませんでしたが、下記3枚の写真の辺りではないかと思われます。

天狗岳不整合(香美市土佐山田町入野)

天狗岳不整合(香美市土佐山田町入野)

天狗岳不整合(香美市土佐山田町入野)

天狗岳不整合(香美市土佐山田町入野)

この地層があると言うことは、激しい地殻変動があった証拠でもあるがです。

全体の地層が逆転して北に70~80°傾斜した、平行不整合に近い傾斜不整合じゃそうです。

不整合とは

堆積作用のあいだに、陸上で浸食作用をうけたことがあると地層は連続して堆積しません。
この場合、ふつうは地層の縞模様に、平行でないものがあらわれます。
このような地層の重なりかたを不整合といいます。
地層に不整合がみられるのは、そこに土地の隆起のような地殻の変動があったことをしめしています。
土地が隆起したり、水面が下がったりして地層が水中から陸上にあらわれると堆積作用が止んで、浸食作用をうけるようになります。
そのため、地層の表面は削りとられてでこぼこができます。
このような浸食をうけた面ができたのちに、土地が沈降してふたたび水中に沈むとその上にまた新しい地層が堆積して、そのあいだが不整合になるのです。

【 参考・引用 】  
整合・不整合とは? 地層の重なりかたとは? | 科学をわかりやすく解説




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辰巳屋伊藤傳右衛門邸跡付近 - 伊能忠敬が高知城下で三日間宿泊

伊藤家碑文

[ 高知県高知市はりまや橋1丁目 ]


はじめに
暫く治まっていました、長期介護による精神的ウツにドット襲われ、体調不良でブログの更新が滞っていましたが、気分的にも治まってきましたので、状況をみつつ更新を再開いたします。




2ヶ月程前の事になりますが、伊能忠敬研究会の方から「伊藤家は伊能忠敬一行の宿所ではありませんか?」と言うコメントをいただきました。

伊藤家が辰巳屋の屋号を使用していたのは記憶に在りましたが、コメント本文にあった辰巳屋伊藤伝右衛門と言う名が記憶になかったものですので「分家ではなかったかと思われますが、詳しい事はわかりません。」と、御返答した次第でした。

当方が、以前、伊藤家の墓所を訪れたのは、土佐人として長州の忠勇隊に参加し禁門の変で亡くなった伊藤甲之助のお墓探しが発端でした。

伊能忠敬に関しては、土佐には然程、痕跡が残っていないのと、正直あまり関心がなかったので、スルーしていて伊藤家(辰巳屋)との関わりは知りませんでした。

伊藤甲之助 - 土佐勤王党に68番目に加盟 2011.07.31

ただ、以前、奥宮正樹の記事で、下記のようには伊能忠敬の事に触れています。

この人は、藩の下役で文化5年に(1808)に幕府測量使・伊能忠敬が土佐に来た時、普請方・宮崎岳助と共に甲浦(現・安芸郡東洋町)から伊予・宇和島に出るまで、約1ヶ月余り随行して測量の世話をした。

「奥宮正樹日記」には、この時の藩史、測量隊がどんなに映じたか等を、書き残している。

『皆山集』

【 参考・引用 】  『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会


奥宮正樹 - 土佐での伊能忠敬の測量に随行 2014.08.13

コメントの返信後、伊藤家の墓所に碑文があった事を思い出し、再度墓所訪ねて碑文(最初の写真)を確認して、家系図にしてみました。

伊藤家

系図にして見ると、土佐伊藤家三代目・伊藤義強の三男が、中伊藤・伊藤傳右衛門温強(辰巳屋傳右衛門)でした。

コメントを戴いた通りでした。

辰巳屋傳右衛門

写真は、「伊藤傳右衛門温強(辰巳屋傳右衛門)」さんのお墓です。

次に、伊能忠敬が宿泊した旅籠屋・辰巳伝三郎方も、奥宮正樹の記事でも下記のように書きましたので、古地図を参考に確認してみました。

伊能忠敬が土佐に来たがは文化5年(1808)第6次測量の時で、年齢は64歳じゃったそうながです。

高知城下では、現・はりまや町の土佐橋北詰(元・土佐銀行のあった辺り)にあつた旅籠屋・辰巳伝三郎方で三日間滞在したそうながです。.


奥宮正樹 - 土佐での伊能忠敬の測量に随行 2014.08.13

辰巳屋傳右衛門

【 参考にした地図 】
『改訂版 高知城下町読本』  高知市・観光課 (平成24年)
『描かれた高知市 高知市史 絵図地図編』 高知市 (平成24年)


上記と、当方の持っている昭和の時代に発行されていた高知市地図などを参考にして、現在地を推測すると分家・伊藤傳右衛門温強(辰巳屋傳右衛門)、即ち、伊能忠敬が宿泊したと言う「旅籠屋・辰巳伝三郎方」は、上の地図に記したように、現・NTT西日本高知東ビル周辺になりました。

辰巳屋傳右衛門邸附近

写真は、電車通り南から見た、現・NTT西日本高知東ビルです。

この周辺に、「史跡 伊能忠敬宿泊地周辺」とか、何ぞ説明板でも建てればエエにねー・・・・・。

因みに、墓碑には文化八辛未年閏二月廿日没(1811)とあり、伊能忠敬が来高した3年後に49歳で亡くなっていました。


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