南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

高知城百景 - 第56景 高知市と南国市の境、逢坂峠から見た高知城

高知城百景 第56景(高知市一宮)

[ 高知県高知市一宮 ]


高知市と南国市の境にある逢坂峠を県道384号線土佐北街道が通っちょりますが、高知市側に峠を越えてちっくと下った所から見た、高知城ながです。

標高は約60m、此処から高知城天守閣までは直線距離で約6.3Kmです。

因みに、ここから県道384号線土佐北街道を約1Km程下って行くと、土佐一之宮・土佐神社と、四国霊場第30番札所・善楽寺に至るがです。

高知城百景 第56景(高知市一宮)

高いビルにでも上がったら天守閣が見える所はあるろうけんど、地上部から見る事が出来る場所はなかなか見つかりません・・・・・。



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立田の経塚 - 長宗我部に滅ぼされた立田土居城の戦死者と経文を埋葬

立田の経塚(南国市立田)

[ 高知県南国市立田 ]


土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の立田駅の高架下を東に約400m程行った県道364号南国野市線の北側に、今回の立田の経塚があるがです。

立田の経塚(南国市立田)

県道から見ると、パット見は小屋のようにみえますが御堂でして、この裏側に経塚が建っちょります。

立田の経塚(南国市立田)

天文元年(1532)長宗我部軍に滅ぼされた立田土居城の戦没者を埋葬した場所に、この時の戦いで焼失した願成寺の経文を一緒に埋蔵したのが立田の経塚じゃそうです。

【 参考・引用 】  『南国の歴史を歩く』 高知県南国市教育委員会


天文元年(1532)じゃと云う事ですき、長宗我部元親の生まれる前の、父・長宗我部国親の時代です。

今は、周囲が畑や民家の建ち並ぶ平坦地の一角じゃけんど、明治の中期頃までは小山のような形じゃったそうですが、明治の悪法・廃仏毀釈の影響もあると思うけんど、道徳心を欠く輩達によって荒らされ、更に道路工事や鉄道工事等によって現在のようになったと云うことながです。

しかし、作業員たちが原因不明の病にかかった事で、祟りを鎮めるために祭典を行ったところ、皆全快したとも書かれちょりました。

立田の経塚(南国市立田)

この石碑の裏面にゃ大正6年とありますき、其の時に建てられたがじゃと思います。


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土佐名勝地 (須崎)八幡宮境内 - 昭和8年新聞社主催の投票で決まった

須崎八幡宮(須崎市)

[ 高知県須崎市西古市町  ]


以前にも、宝永の大地震の時に津波で、御神輿が遠く伊豆まで流され、土佐から伊豆まで御神輿を迎えに行った事を御紹介した事のある須崎の八幡さんです。

須崎八幡宮 - 宝永の大地震の津波で御神輿が下田に漂着 2010.10.17

鳥居右側の木の下に、写真のような碑が建っちょりました。

須崎八幡宮(須崎市)

土佐名勝地 八幡宮境内
高知県名勝地推薦投票当選地
昭和八年一月 高知日日新聞社


此処は、子供の頃の遊び場の一つじゃったけんど、こんな碑があったとは知らんかったです・・・・・。

それと高知日日新聞社も調べたけんど、判らんかった・・・・・。

須崎八幡宮(須崎市)

右・(須崎)八幡宮
左・西宮神社(境内社)

須崎八幡宮(須崎市)

創建は定かではないけんど、史料によると正安3年(1301)以前に鎮座していたようながです。

津野氏最後の当主・津野孫次郎親忠が、津野氏の本城を・須崎城(古城山)に移した時、城内鎮護の神として祀った社で、父・長宗我部元親や兄・長宗我部信親が豊臣秀吉の九州征伐の際、戦勝祈願をしちょります。

須崎八幡宮(須崎市)

上は須崎の絵ハガキじゃけんど、昭和20年代から30年頃の風景じゃないかと思われます。


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