東寺 - 鳥羽伏見の戦い・官軍の本営地



[ 京都府京都市南区九条町 ]


鳥羽伏見の戦い勃発の翌日、薩摩藩ら討幕派の本陣が置かれた場所で、この時、幕府討伐の「錦の御旗」が立てられた。

錦の御旗は、朝廷軍(官軍)の旗印で、本来は天皇から官軍の大将に与える物じゃそうですが、この時の錦の御旗は、天皇の許可なく岩倉具視が独断で薩摩藩・大久保利通と長州藩・品川弥二郎に作らせたニセモノとされちょります。

と言っても、このニセモノであっても錦の御旗が掲げられた時点で、幕府は天皇の敵・賊軍になり兵士達は朝敵の汚名を着せられ、討幕軍は戊辰戦争に勝利した時点で紛れもなく勝者・天皇の軍になり、錦の御旗も「本物」になってしまったがです。
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4 Comments

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 北さんへ

> 卑近な例では、新聞も同じですね。一紙だけでなく、右、中、左の3紙の、せめて小見出しまでは見ておかなければ、知らぬ間に、洗脳されている危険性があるのと同じです。

おっしゃる通りです。
新聞も社説一つ読んでも各社各様。
TVのニュース報道も同じ。
一つの出来事にしても、放送する所あり、しない所ありで様々。

国民は、何が行われているのか正確に知る権利があり、メディアは正確に報道する義務があるのに、報道する側のスタンスに、最近、特に矛盾を感じる。

国会の法案一つとってもしかり。

多くの国民は、どんな法案が審議されているのかも知らぬ間に、法案の中には国の根幹を揺さぶり兼ねないような法案も審議されている。

メディアは、正確に何が審議されているのか、また成立・廃案の結果も報道する義務があると思うけんどねー。

それしか国民は、リアルタイムに国政を監視できんのですから。

2010/08/08 (Sun) 00:10 | REPLY |   

北さん  

ありがとうございました

詳しい説明をありがとうございました。
孝明天皇暗殺、明治天皇替え玉説・・・・
このあたり

教科書の上っ面を素通りした程度の歴史認識しか持たない者にも分かりやすく噛み砕いての丁寧な説明、貴重な時間を頂いたこと、恐縮いたしております。

≫正史は常に勝者の利。
≫現在のように、情報が共有できる時代じゃなかった古事記や日本書紀の書かれた時代から、幕末までの歴史資料と言うものは、殆どと言って良いくらい勝者の側が自分達に不都合な部分は歴史から消去し、美化して残した書物も同じじゃと思うちょります。

これは洋の東西を問わず、歴史を作って北側から語られるのは、
ある種いたし方の無いことかもしれません。
歴史書を見るとき、誰に寄って語られたか、書かれたかという事は意識しておかなけれ場ならないことですよね。

卑近な例では、新聞も同じですね。一紙だけでなく、右、中、左の3紙の、せめて小見出しまでは見ておかなければ、知らぬ間に、洗脳されている危険性があるのと同じです。

2010/08/07 (Sat) 22:58 | REPLY |   

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 北さん へ

錦の御旗は、幕末以前に最後に使用されたのは、南北朝の争いの建武の中興(1334年)の時で、後醍醐天皇が楠正成らの諸将に授けたと言われています。

ただ、この時は南北朝時代に正統である南朝に敵対して弓を引いた足利尊氏率いる北朝側(賊軍側)が勝利したけんど、現代においてあんまり逆賊と言うイメージでは語られちゃーせんけんどねー。

兎に角、幕末期にゃ、錦の御旗は存在しちゃーせんかったがです。


司馬遼太郎の短編小説に「加茂の水」にゃ、錦旗を作成した玉松操、岩倉具視、大久保利通のことが書かれちゅう。

玉松操は没落公卿で、学問と文章に秀じちょったき岩倉具視に見出だされ、倒幕の謀議に参加し、岩倉は倒幕のためには天皇軍のシンボルが有効ではないかと考え、それには錦旗が適当であるということになった。

当時の宮廷に錦旗はなかったき、承久兵乱記、梅松論、太平記などに出ている錦旗の説明を参考にし、玉松操が錦旗の図案を創作し、西陣で帯地を仕立てよった大久保利通の妾に、図案を渡し2旒の旗を調製し、薩摩と長州に1旒ずつ渡したと・・・。


大政奉還がなされたにも関わらず、倒幕の密勅がくだったのも、偽物。

坂本龍馬が発案した大政奉還が、後藤によって徳川に提案され、徳川から天皇に上奏... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1143307521

歴史学者・井上勲「王政復古―慶応三年十二月九日の政変」にゃ、討幕の密勅は、奇怪な文書という他はない。
朝廷会議での決定をへて作成された文書ではない。
中山・正親町三条・中御門そして岩倉の手によって、秘密の裡に作成された文書である。
様式からみれば,詔書のようにもみえ、論旨のようでもある。異様の様式の文書である。
と記されちゅう。

また、三条実美が旧館林藩士岡谷繁実に告白した、福地源一郎「幕府衰亡論」にゃ、慶応三年十月十四日の「倒幕の密勅」と「錦旗」は偽物であったと書いてある。


例えば、長州は蛤御門の変の際、御所に向け発砲したことから、一時期、朝敵にされ、幕府軍が長州征伐に出る。

この時の勅書も、天皇の直筆では無く、中山忠能や三条実愛らの花押(署名の一種)もなかったき、偽勅書ともとれるくらいの勅書じゃったとされちゅう。

ようは幕末期にゃ天皇の知らんところで、むやみやたらと勅書が乱発されちょったと言うがです。

それに倒幕の密勅に関しても、時の天皇・孝明天皇は完全な公武合体派で、岩倉具視などの公家や薩長にとっては非常に目障りな訳で、孝明天皇が在位している限り”錦の御旗”を倒幕派が握り、幕府を賊軍とすることはできなかったはずじゃき、普通に考えたら当時の天皇が倒幕のための勅書を発令するハズはないろー。

けんど、倒幕派にとっては好都合に孝明天皇は死去し、当時まだ15歳じゃった明治天皇(睦仁親王)が即位する。

何も判らん天皇じゃき、倒幕派にゃ好都合な条件が出来た訳なが。

つまり御所の奥深くで、明治天皇の外祖父・中山忠能と岩倉等の言うがままに、幼い睦仁天皇に倒幕の詔勅に印璽を押させたとのことが、偽勅と言われちゅうが。

「大久保利通文書」にゃ、慶応3年10月7日、クーデタ一計画が、くれぐれも「摂政(二条斉敬)、戸宮( 朝彦親王) 杯へ漏洩」しないようにと岩倉に述べていた。

若い天皇を擁する朝廷のトップと親幕派の宮に妨害されると、クーデターは困難なものになるためだった。

とある。

こうした事から、孝明天皇は暗殺され、明治天皇替え玉じゃと言うタブー説もあるがです。

つまり、明治天皇は本物か?

孝明天皇は暗殺されたのか?

暗殺されたとしたら、黒幕は誰か?

岩倉具視が極悪人扱いされる所以は、ここにある訳で、如何しても大政奉還を反故にしてまで、徳川幕府を叩き潰したい野望があったとしか思えんがよ。

征韓論で西郷達が破れ、新政府に大久保利通が最後まで残ったのは、こうした経緯に加担しちょった事が関係しちゅうがじゃないろーかと思うたり。

つまり謀略・謀議を重ね、武力闘争で明治維新を造った黒幕は岩倉具視と大久保利通じゃなかったのか?と・・・。


現在じゃ、倒幕の秘密も錦の御旗も、ニセモノとする説が定説のようになっちょります。

ただ、ウソも方便と言うやつで、「勝てば官軍、負ければ賊軍」な訳で、足利尊氏も勝利して官軍の将になったように、正史は常に勝者の利。

ニセモノの倒幕の秘密も錦の御旗も、勝利してしまえば如何でもええがよ。

現在のように、情報が共有できる時代じゃなかった古事記や日本書紀の書かれた時代から、幕末までの歴史資料と言うものは、殆どと言って良いくらい勝者の側が自分達に不都合な部分は歴史から消去し、美化して残した書物も同じじゃと思うちょります。

何が本当で何が嘘かは判らんけんど、教科書には書かれちゃーせんことは一杯あるがです。
 
今回の出典は、殆どネット検索からです。

2010/08/07 (Sat) 19:04 | REPLY |   

北さん  

驚きました

錦の御旗・・・
≫この時の錦の御旗は、天皇の許可なく岩倉具視が独断で薩摩藩・大久保利通と長州藩・品川弥二郎に作らせたニセモノとされちょります。

天皇の許可なく、こんなことが出来たのですか~。驚きました。
朝廷も、負けた時の事を考えて(言い逃れをするため)黙認していたのでは・・・
な~んて、下種のかんぐりを・・・してしまいました。

2010/08/07 (Sat) 09:11 | REPLY |   

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