藩祖銅像建設之記 - 発起人の一人に寺田利正の名が






[ 高知県高知市丸の内 ]


変色して何や訳の判らんような石碑じゃと思いながら見てみたら、表に藩祖銅像建設之記と刻まれちょりました。

場所は、山内一豊像 - 孤独に佇む 2010.07.31でご紹介した、山内一豊の像を最初に建てた時の記念石碑で、一豊像の背後左にヒッソリと建てられちょります。

その発起人たちの名前の中に、寺田利正の名があったがです。

一般的に言えば、寺田寅彦の父と言った方が通りが良いかも知れんけんど、本姓は宇賀姓ながです。

生まれたのは、郷士・宇賀良平の次男として生まれ、後年、同じ郷士の寺田久右衛門の養子になり寺田利正を名乗たがです。

判ったろーか?

弟は、宇賀喜久馬と書いたら判った人が多いろー。

龍馬ファンなら、周知の名前ですき。

宇賀喜久馬は、土佐勤王党の結成の切欠にもなった井口事件(栄福寺門前事件)の郷士側の当事者の一人じゃった。

僅か18歳の宇賀喜久馬が、事件の責めを負って切腹した時、介錯をしたのが兄・(寺田)利正じゃったがです。

上士と下士のイザコザで弟を失って、上士に対しての積年の恨みもあったと思う。

大正3年、この山内一豊像を建てるに当たっての経緯は判らんけんど、いくら藩祖と言えども上士は上士、色んな思いが走馬灯のように巡ったがじゃないかと思うがですが・・・・・。



[ アクセス ]

・土佐電鉄伊野線「高知城前」電停下車 約280m 徒歩約4分
・土佐電鉄伊野線「大橋通」電停下車 約340m 徒歩約5分
・土佐電鉄伊野線「県庁前」電停下車 約350m 徒歩約5分

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3 Comments

ねえやん へ">

ねえやん へ  

Re: タイトルなし

ねえやん へ">

郷士・坂本龍馬と、藩祖・山内一豊の間に、先祖が土佐の戦国武将・安芸国虎の次男とも言われちょります安芸喜代香が居るとはねー。

不思議じゃねー・・・。

2012/12/04 (Tue) 17:05 | ねえやん へさん">REPLY |   
オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: マメシバ さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

どーゆー経緯で、発起人の一人になったのか知りたいけど、歴史は黙して語らず。

2010/08/06 (Fri) 22:01 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

マメシバ  

確かに疑問…(?_?)
どーゆー経緯があったんでしょうね?
何か計り知れないドラマを感じてしまいます。
今まで何度となく横を通り過ぎてました。
早速見に行かねば♪

2010/08/06 (Fri) 03:09 | REPLY |   

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