山内一豊像 - 孤独に佇む



[ 高知県高知市丸の内 ]


この像は、長宗我部氏に取って代わって土佐24万石の領主になれた、山内一豊の像なが。

現在は、観光客もあんまり気が付かんような、高知城外に再建されちゅう。

初代の像は、元は二の丸の国旗掲揚台の近くにあったがですが、太平洋戦争の時、金属回収のため撤去されたと。

因みに、金属回収されんかった像は坂本龍馬だけで、山内容堂・板垣退助・片岡健吉像も撤去され、鉄砲の弾かなんぞに溶かされたがです。

けんど再建されても元の場所に戻れず、山内一豊は東向きに、妻・千代の像は城内で西向きに、互いに背中合わせに対峙し、寂しく城外で孤独に佇んじょります。

それに、千代の像や板垣退助像の位置は、MapFan地図にも記されちゅうけんど、この一豊像は無いちゅう事は、存在感も薄いがやねー。

建っちゅう場所は、元々は2代藩主・忠義の時代に土佐藩の財政を安定させたにも拘らず、罪人にされた山内家に怨みのある家老・野中兼山邸のあった場所。

野中兼山邸跡の碑 - 本来の跡地に建てられちゃーせん理由は 2009.11.20

野中婉女宅跡 - 野中兼山の娘 2010.04.22

そこに10代藩主・山内豊策が初代・山内一豊と妻・千代、それに2代藩主・忠義を祀った藤波神社を造っちょったけんど、現在は高知市鷹匠町の山内神社に合祀しちゅう。

建てる場所を間違えちゅうねー。

山内神社に建てるべきぜよ・・・。

像の製作者は、桂浜の坂本龍馬像と同じ、彫刻家・本山白雲です。

この本山白雲さん、宗安禅寺 2008.10.05でも書いたけんど、長宗我部氏と敵対しちょった本山氏一族の直系の子孫に当たるがです。

そういう意味では、本山氏も土佐の豪族の一人として、よそ者の山内氏に土佐を乗っ取られたと言う図式になるがよ。

そんでかのー、本山白雲さんにしちゃー、些かズングリムックリな不細工な像に仕上げちゅうように見えるがやき。

それに比べたら桂浜の坂本龍馬像や、長浜の若宮八幡宮参道にある長宗我部元親像の方は、こじゃんとかっこええぜよ。

今風に「武将萌え~」 - 長宗我部元親初陣の像 2009.08.24


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[ アクセス ]

・土佐電鉄伊野線「高知城前」電停下車 約280m 徒歩約4分
・土佐電鉄伊野線「大橋通」電停下車 約340m 徒歩約5分
・土佐電鉄伊野線「県庁前」電停下車 約350m 徒歩約5分

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4 Comments

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 北さんへ

> 見比べましたが、確かに≪元親の像≫の方が力感あふれていて良いですよね~。

そうだよねー。

2010/08/02 (Mon) 21:00 | REPLY |   

北さん  

確かにこっちが、恰好ええぜよ

≫それに比べたら桂浜の坂本龍馬像や、長浜の若宮八幡宮参道にある長宗我部元親像の方は、こじゃんとかっこええぜよ。

見比べましたが、確かに≪元親の像≫の方が力感あふれていて良いですよね~。

2010/08/02 (Mon) 06:35 | REPLY |   

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

> 一豊さんがそう言うとこに置かれてるのは・・野中兼山の恨みを抑えるため???

なーるほど・・・。

> 千代さんがそっぽむいてるのは高知よりも京都が好きだったから?

それは、的を得てるかもです。(^^ゞ


> いろいろ考えちゃうナァ・・。であります。

2010/07/31 (Sat) 22:08 | REPLY |   

おりがみ  

どうぞう

一豊さんがそう言うとこに置かれてるのは・・野中兼山の恨みを抑えるため???
千代さんがそっぽむいてるのは高知よりも京都が好きだったから?
いろいろ考えちゃうナァ・・。であります。

2010/07/31 (Sat) 21:42 | EDIT | REPLY |   

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