土居佐之助墓 - 平井収二郎・加尾の従兄弟




[ 高知県高知市薊野北町 ]


文久3秋頃、坂本龍馬が、姉・乙女、姪・春猪に宛てた手紙に、土居佐之助の事が書かれちゅう。

出典:「龍馬の手紙」 宮地佐一郎・著

・・・・・先日大和国ニてすこしゆくさ(戦)のよふなる事これあり。

其中に池内蔵太、吉村寅太郎、平井のあいだがらの池田のをとをと、水通のをさとのぼふずなど、先日皆々うちまけ候よし。

これらハみな~しよふがわるいニつき・・・・・


平井のあいだがらの池田のをとをととは、平井収二郎・加尾の従兄弟である池田忠三郎の弟・土居左之助と言う意味で、天誅組が敗れ残党として捕えられる。

池内蔵太は、天誅組の反乱に参加したけんど負けて敗走、天誅組の吉村寅太郎は鷲家口の戦いで戦死。

また水通のをさとのぼふずとは、坂本龍馬の生家と近くじゃった茶道家出身で武芸の達人の上田宗児の事で、彼もまた天誅組の挙兵に参加したけんど、敗れて中山忠光と共に萩藩にのがれたがです。

坂本龍馬は、土佐の仲間らーが天誅組事件で多くの犠牲を出した事などを嘆き、やり方が悪いんだと書きたかったがでしょう。
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6 Comments

オンチャン  

Re: 中平 さんへ

このサイトが、少しでもお役に立てたのであれば、此方こそ嬉しく思います。
土居佐之助さんのお墓は、田内衛吉(武市瑞山の実弟)さんのお墓に向かう本道より右下(東側)に10m程反れた、少し判りにくい所にあります。
どうぞ、御気を付けてください。

2010/07/27 (Tue) 23:19 | REPLY |   

中平  


私の先祖の事を教えて下さり ありがとうございます
先日 以蔵さんの墓所に行ってましたのに 土居の墓所を知らず
こちらで教えていただきました ハミや蚊やハチで今 山には入れません
秋に主人と行く事にしました ここの山は九月終わりにはクリ
十一月にはシイの実が取れます 冬いちごもその頃です
土居墓所へは「案内板」を載せて下さってましたので行けそうです(感謝)
 

2010/07/27 (Tue) 22:44 | REPLY |   

オンチャン  

Re:ポン さんへ

> 天祥丸の件や同志が間崎滄浪に切腹させられかけた事件のとき、楠瀬春同という人物がでてくるのですが、たしか平井のいとこだったと思います。(あくまでうろ覚えですが…;)

恥ずかしながら、楠瀬春同って知らんがです。
土佐勤王党の名簿にも、楠瀬春同ちゅう名はないし、楠瀬○○とあっても名前が違ったり経歴が違ったりで、把握しちょりません。

ポンさんの、おっしゃる楠瀬春同の出典は、田中光顕の口述筆記した「維新風雲回顧録」ですか。

文庫本で出ているようですき、探して読んで見ます。

コメントありがとう。

2010/07/27 (Tue) 21:32 | REPLY |   

オンチャン  

Re: おりがみ さんへ

> 歴史に残らないような・・ビッグネームでもないような・・
> そう言う人々で「歴史」はできてる・・・。

名を残した人らーにも、必ず誰か支えになった大勢の人らーが居るわけで、たった一人の思いつきで歴史は動いちゅうがじゃないき。

龍馬だって同じ。

海援隊の仲間や、家族や大勢の協力を得て、しかり。

> だとすれば私もまた歯車、いやねじか小さなバネのように生きたいものです。

絶対、誰かの支えになり、支えられちゅう。

みんなーそれぞれに、歴史と言う針を進める何がしかの役割を、になっちゅうがじゃと思うようにしちゅう。

そう考えたら、意味もなくこの世に命を受けたと思えんき。

2010/07/27 (Tue) 21:19 | REPLY |   

ポン  

ちょうどそのあたりの関係を知りたいと思っていたので助かりました。勤王党周辺は親戚関係が多いのでややこしいですね。特に苗字が違うとなると…
亀弥太は書簡でしばしば平井や土居について触れているようですし、平井切腹のときは土居の父も立ち会ってるようです。普段から親戚同士の交流があったんでしょうね
天祥丸の件や同志が間崎滄浪に切腹させられかけた事件のとき、楠瀬春同という人物がでてくるのですが、たしか平井のいとこだったと思います。(あくまでうろ覚えですが…;)

2010/07/26 (Mon) 19:02 | EDIT | REPLY |   

おりがみ  

歯車

歴史に残らないような・・ビッグネームでもないような・・
そう言う人々で「歴史」はできてる・・・。
だとすれば私もまた歯車、いやねじか小さなバネのように生きたいものです。

2010/07/26 (Mon) 10:11 | EDIT | REPLY |   

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