植木枝盛旧邸跡 - また一つ、史跡が消えて行く





[ 高知県高知市越前町 ]


高知新聞 - 2010年06月22日

植木枝盛旧邸取り壊し迫る

自由民権運動の思想家、植木枝盛の高知市桜馬場にある旧邸が、取り壊されようとしている。市では、枝盛が憲法草案を起草した書斎の一室を譲り受け、保存していきたい考えだが、具体的な手順はこれから決めることになるという。


と言うニュース記事が出ちょりました。

植木枝盛に付いては、自由は土佐の山間より出づ - 植木枝盛生誕地 2008.12.20で、ご紹介しちょりますき、此処では省略します。

此の建物は、植木枝盛が明治11年からこの家に住み、明治14年(1881)に私擬憲法中もっとも進歩的・民主主義的な「日本国国憲按」(「東洋大日本国国憲按」とも言う)を起草した場所ながです。


その後、長くこの「国憲按」の存在は忘れ去られていたが、1930年代、明治文化研究会などで明治憲法制定過程の実証的研究を進める鈴木安蔵らによって他の私擬憲法とともに再発見され、鈴木は、第二次世界大戦後の1945年12 月、自らが参加する憲法研究会が新憲法案「憲法草案要綱」を作成・公表したさいに、土佐立志社による「日本憲法見込案」などとともに「国憲按」を参考資料として使用した。

同「要綱」はGHQによる憲法草案のベースとなったため、東洋大日本国国憲按は同草案を原型として公布された現行日本国憲法の間接的源流とみることができる。

東洋大日本国国憲按 - Wikipedia


西郷木戸板垣三傑会合の地 - 東九反田公園 2008.12.19の記事の中や、先日書いた武市瑞山墓 - 武士としての誇りと、藩主に対する忠誠の間で 2010.07.11のコメントの返信にも記載したけんど、九反田の開成館跡と同じように、本物の史跡がまたひとつ土佐の地より消滅していくがです。

そいて気が付いた時には、建物は無くなっちょり、石碑だけが残るだけ。

2007年12月1日付けの高知新聞

「経産省認定「産業遺産」で高知市が辞退/九反田の開成館跡」

経済産業省は30日、日本の近代化をけん引した歴史的な工場跡や湾港、鉱山など575件を「近代化産業遺産」に認定した。

本県からは安芸郡奈半利町の藤村製糸工場が選ばれたが、当初候補に挙がっていた高知市の「開成館跡」は認定されなかった。

同市教委が「跡地には碑以外、何も残ってない」と辞退したためだが、地元住民らからは「まちづくりのきっかけになったかもしれないのに」と、残念がる声も上がっている・・・・・・・・。



最後に、「土佐の歴史散歩」と言うサイトに、植木枝盛旧邸に関して行政とのやり取りが書かれちょりましたき、ご紹介しちょきます。

2003.9.26高知市議会9月定例会の中の質問に高知市長が答えました。
枝盛邸は枝盛が居住し、憲法草案を書いたとされる部屋が残っていることに意義があるが、昭和十五年以降4回もの増改築を重ねているため文化財としての価値に疑問があり、市が保存することは困難である。

2003.12.10旧邸を保存する会のメンバーらが高知市の新市長である岡崎誠也市長を訪ね、2,340人分の署名を提出して建物の保存を重ねて要望したが、市長は財政再建を公約として当選したので現地保存は財政を考えるとできないと答える一方、書斎については教育委員会や議会など内外の意見を聞いた上で判断したいと答えた。



一般のお宅ですき見学は出来んけんど、何時壊されるのかわからんがですき、本物を見たい方は、お早めに!。



[ アクセス ]

・土佐電鉄伊野線「枡形」電停下車 約520m 徒歩約8分。
・土佐電鉄伊野線「上町一丁目」電停下車 約540m 徒歩約8分。
・土佐電鉄伊野線「グランド通」電停下車 約550m 徒歩約8分。

MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment