武市瑞山墓 - 武士としての誇りと、藩主に対する忠誠の間で



[ 高知県高知市仁井田 ]


いよいよNHK大河「龍馬伝」も、武市瑞山の切腹を迎えるねー。

土佐勤王党の獄で捕えられちょった武市瑞山にも沙汰が下るがです。

そいて よく言われるように妻・富子の差し入れた白無垢一襲の着衣を着て、切腹に臨んだとされちょります。

ところが、平成15年に日本図書刊行会から出版された横田達雄氏[「武市瑞山-ある草莽の実像」批判]と言う本には下記のように書かれちょります。

武市半平太ハ着用、下ハ晒シ、上着浅黄紋付、絹帯〆メ、袴着にて罷出・・・とあるも、白無垢一襲とは、何処にも書いちょらん、とある。

出典:「武市半平太最期ノ始末 五十嵐文吉手記」-「瑞山文書 第二」所収-
頭註「島村寿太郎(祐四郎)実話ニ 據リ 筆記セシモノ」


これがホンマじゃったら、切腹に際しての武市半平太の装束は、浅黄色の紋付袴じゃったと言う事ながです。

また武市瑞山に、藩庁の出した罪状の宣言文は「爾来、京師に於て高貴の御方(粟田宮=青蓮院宮)へ用意ならざる儀屢々(しばしば)申上げ、将又(はたまた)後隠居様(山内容堂)へ屢々不届の儀申上候事共」とある。

つまり、青蓮院宮令旨事件の黒幕は武市半平太で、また山内容堂に対して忠諫(忠義の心から主君をいさめる)した事が、藩主・容堂に対する不敬行為じゃとしちゅうがです。

しかし武市瑞山は、この2件の罪状に関しても事実無根として書かれちゅうがでして、書簡「瑞山文書」の島村寿太郎宛てに、下記のように書かれちゅうとある。

斯かる(このような)状況下、半平太、土佐より「血名書」を取り寄せ、容堂に献じ、結党の趣旨以下、勤王運動等、更に、党員一同の誠心の程を開陳するに至りけり。

時に容堂、既に徒党連判を不可とするの念によりたるべし、「人が見ると宣からず。焼き捨てよ」と命じたるのみにて、徒党の事を難ずる無かりき


要するに、武市半平太が容堂に土佐勤王党の血名書を見せ、結党の趣旨と容堂に対して党員が忠誠を誓っての事であると説明すると、容堂は「人に見られるとまずいき焼き捨てるように」と言っただけで、徒党の組んだことに対するお咎めはなかった、とあるが。

ところが、武市瑞山や土佐勤王党は、山内容堂を信じ土佐藩を薩長と並ぶ雄藩の位置に引き上げたにも関わらず、八月十八日の政変で公武合体派のクーデタが勝利したことを機に、手の平を返すように土佐勤王党に対する弾圧が開始されるが。

土佐勤王党員の活躍の原動力の一つは、山内容堂が自分らーを認めてくれたものと信じ、容堂の為・藩の為にと一身に尊皇攘夷へと向かって行ったがです。

しかし、山内容堂は郷士如きの分際でと思うのみで、実際に信じて頼りにしていたのは、後にも先にも上士だけじゃった。

結局、土佐勤王党員らーから見たら、自分達はただ単に利用するだけ利用され裏切られたとして、多くの同志は容堂を見限って脱藩をして行ったが。

けんど、武市瑞山は藩を捨てることも、容堂に反する事も出来んかった。

彼が、他の同志と同じように脱藩したら、土佐勤王党の目的である土佐一藩を勤王に染めると言う思想は崩れ、逆に仲間達に対する裏切りになる。

土佐勤王党の盟主であるが上の重責と、最後まで藩主・山内容堂に対する忠誠を重んじて、藩主に背く事を拒み、君命に従って縛に付くと言う、武士としての誇りを選んだがじゃないろうかと、最近は思うようになっちょります。

切腹の前日、小目付けが獄舎に来た際、武市瑞山が「何ニヲ言上シタゾ承リ度シ」と反問すると、御隠居様が御隠居様がと逃げ「アナタガ知らんと言うと、御隠居様が立たヌ・・・・と答えたと言う。

これもホンマじゃったら、最後まで誰一人吉田東洋暗殺の黒幕が武市半平太だと白状しなかったにも関わらず、山内容堂が無理やりな虚偽の罪状を押し付けてまでも、如何しても吉田東洋を殺された恨みをはらそうとしたがですねー。

虚偽の罪状じゃと周りの目付けらも知っちょったように受取れるが、結局は容堂の処置に逆らえなかったがでしょう。

ようは後藤象二郎が叔父の吉田東洋を殺された恨みから、獄につないだ土佐勤王党員に拷問を加えて自白させようとしたと言うよりは、むしろ容堂の方が積極的に卑怯な手段を使ってでも、武市瑞山を殺したかったと言う事になる。

じゃき此の事が、生涯、容堂は後ろめたい思いに苛まれたがでしょうか。

後年、時に半平太許せ!と狂気の如く態を示したと謂う。

「千賀覚書」



ただ、容堂は最後まで武市瑞山を「士」として扱った事は事実じゃと思う。


切腹には武市瑞山の姉の子・小笠原保馬と、妻・富子の弟・島村憲太郎の両人が左右から刺して介錯した。

享年37歳。 

遺骸は、武市瑞山が筑後守柳川左門の仮名で勅位に随従した時の、長棒の駕籠に乗せられて、妻・富子の元に帰った。

翌日、祖先の眠るこの吹井の里に葬られたがですが、その葬列には3里(12km)を超えようかと言う程の参列者が続き、先頭が墓所に着いた時、 後尾はまだ遥か下田川河口よりもさらに遠く、吸江の北にまで連なっちょたと言うがです。

如何に、武市瑞山が慕われちょったかを物語るエピソードで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で坂本龍馬が一躍スポットライトを浴びるまでは、土佐においては一番に顕彰されちょった人物は武市瑞山じゃったがです。


[ アクセス ]

・「はりまや橋東」バス停までは、高知駅から土電で「はりまや橋」電停まで乗車の方が便利。
  もしくは高知駅から徒歩850m。

乗り換え場所の「はりまや橋東」バス停は、はりまや橋交差点の東側にあるデンテツ・ターミナルビル(土電ビル)の前から出ちょります。
(ターミナルビル言うても、ただのビルですき・・・)

・「はりまや橋東」バス停から土電バス(土佐電気鉄道)「前浜・パークタウン線・前浜車庫」行きで、約20分。
 「瑞山神社前」バス停下車。徒歩直ぐ。

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4 Comments

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

> あと、観光資源になりそうなものしか扱わないと言うのも・・。ねぇ?

そう言う事。
文化財の保全管理や、後の世代に継承していくと言う観念が無頓着と言うか、興味がないと言うか、如何でもエエがじゃろー。

以前、2007年12月1日付けの高知新聞の記事を「西郷木戸板垣三傑会合の地 - 東九反田公園 2008.12.19 Fri | [史跡] その他」でも書いた。

「経産省認定「産業遺産」で高知市が辞退/九反田の開成館跡」

経済産業省は30日、日本の近代化をけん引した歴史的な工場跡や湾港、鉱山など575件を「近代化産業遺産」に認定した。

本県からは安芸郡奈半利町の藤村製糸工場が選ばれたが、当初候補に挙がっていた高知市の「開成館跡」は認定されなかった。

同市教委が「跡地には碑以外、何も残ってない」と辞退したためだが、地元住民らからは「まちづくりのきっかけになったかもしれないのに」と、残念がる声も上がっている・・・・・・・・。

これ一つだけでも、判るろー。
文化財が保護・管理もろくに出来ず失われたとすれば、県民・市民の共有財産を損失した責任は重大な過失。

まあ、言い分はあるろーけんど・・・。

その点、高知市以外の市町村の方がまだ、優秀。

特に、津野町の東津野中学校などは毎年修学旅行に、郷土の偉人・吉村寅太郎が眠る東吉野村の墓所を訪ね、お墓の清掃をしたりして、墓参りをするがが目的になっちゅう。

それをまた、受け入れゆう東吉野村の教育長さんみずから対応しゆう。

これこそが、子供達に教える郷土愛の原点で、津野町じゃ龍馬や半平太より、寅太郎の方が郷土の偉人なが。

当然のことじゃけんど、それでもまっこと頭が下がる思いながです。

学校や生徒達からの自発的な行為かもしれんけんど、津野町の教育委員会が熱心ながでしょうねー。

「土佐の維新志士・吉村寅太郎、高知の生徒が東吉野で墓参」
http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20100513kk04.htm

ようは、教育委員会の対応いかんで、史蹟の整備や保存、郷土の偉人達の誇りを子供達へ伝えるかと言う熱意が分かれる。

龍馬伝のお蔭で、半平太や以蔵や慎太郎にもスポットがあたったけんど、それでも観光業者や行政は、お金に生む龍馬にしか向いちゃーせん。
情けない事じゃないかねー。

2010/07/14 (Wed) 11:54 | REPLY |   

おりがみ  

教育委員会かぁ・・

「土佐の教育改革」「開かれた学校づくり」とか・・けっこう注目してたんですけど・・。
けっきょく「学力向上」とか生活指導に追われているということかなぁ??もったいないなぁ・・いい素材がいっぱいあるのに・・。


あと、観光資源になりそうなものしか扱わないと言うのも・・。ねぇ?

2010/07/13 (Tue) 06:43 | EDIT | REPLY |   

オンチャン  

Re: おりがみ さんへ

> 武市、中岡・・もっと知ってもらいたい。

そうじゃねー。
多くの人に知って欲しいですが、その前に地元・高知の人に知って欲しい。
正直、知らん人が「おる」じゃのーて、余りにも多すぎる。
原因は、教育委員会の失態じゃと思う。
 
子供達に正しい「土佐の郷土史」を教えるべきじゃないかねー。

特に維新史の中の土佐人たちは、皆なー、我々土佐人が大いに誇りに思うべき偉人達。

郷土愛は、こうした地元の郷土史を知る事からも、生まれるがじゃろー?

2010/07/11 (Sun) 23:40 | REPLY |   

おりがみ  

りょうまだけじゃないって

武市、中岡・・もっと知ってもらいたい。
しればしるほど
深みにはまる面白さです・・。
おんちゃんさんの記事は教科書にしたいわぁ。

2010/07/11 (Sun) 23:08 | EDIT | REPLY |   

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