新宮馬之助生誕地 - 龍馬を助けて海援隊士として活躍



[ 高知県香南市野市町新宮 ]


香南市野市町新宮にある新宮公民館の前に、昭和19年に建てられたと言う、新宮馬之助誕生地の立派な石碑が建っちょります。

色白じゃったそうで、ひょんな事で上気すると直ぐに顔が赤こうなる癖があったき、坂本龍馬や同僚の海援隊士らーから「赤づら馬之助」呼ばれちょったと言う、新宮馬之助です。

彼は天保7年(1836)に香美郡新宮村(現・野市町新宮)の農家・寺内信七の二男として生まれちょります。

脱藩後に新宮を名のり、寺内新左衛門・焼継屋馬之助・新宮次郎・新宮駟次郎などの名前をも使うちゅう。

嘉永6年(1853)、17歳の頃、高知城下の本丁筋2丁目の祖母の家に寄宿し、布屋という旅宿と家業の焼き継ぎ屋を手伝う一方で、河田小龍に入門して学問・絵画を学んだがです。

この頃、河田小龍の塾には、NHK大河龍馬伝でもお馴染の近藤長次郎ら多くの仲間がおった。

坂本龍馬が1回目の江戸留学から戻んて来た時に、小龍を訪ねて海外事情を問うちょりますが、龍馬との出会いは、多分この時に出逢うちゅうがじゃないかと思うちょります。

その後、江戸へ遊学した際、坂本龍馬から勧められ沢村惣之丞や安岡金馬らーと勝海舟に師事し、龍馬らと一緒に神戸海軍繰練所で航海術を学ぶがです。

けんどその後に起こった八月十八日の政変以降、神戸の海軍操練所の閉鎖や、土佐藩内の土佐勤王党の弾圧で帰藩命令を受けるがですが、龍馬らと一緒に脱藩し薩摩藩に保護される形で九州に渡り、やがて亀山社中が結成されると、沢村惣之丞や近藤長次郎らーと共に龍馬を助けて活躍し、海援隊の中心メンバーとして活躍するがです。

慶応2年(1866)、京都薩摩藩邸で西郷隆盛と長州藩・桂小五郎が薩長同盟を締結した際に、調停役として同席しちょります。

維新後は、浦賀の海兵団に所属し海軍大尉にまで進んだそうじゃけんど、第一線を退き奥さんの郷里の長崎に移り住んじょりますが、明治19年(1886)に流行病のコレラにかかり病死しちょります。

享年51歳でした。


[ アクセス ]

・土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「のいち駅」下車 約1.5km 徒歩約25分

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