友竹斎夫妻墓 - 絵師・金蔵(通称・絵金さん)






赤岡の「絵金祭」で                        「朝倉神社の夏祭り」で

[ 高知県高知市薊野北町 ]


墓に彫られちゅう「友竹斎」は弘瀬金蔵さんの「号」で、文化9年(1812)に高知城下に生まれ、明治9年(1876)に65歳でみてちょります(亡くなっちょります)。

土佐じゃ、絵金さん言うて親しまれちゅうがです。

彼の書いた芝居絵屏風は、歌舞伎や浄瑠璃物語の場面を題材にした物が殆どで、独特の血なまぐさいオドロオドロシイ世界が広がっちょります。

決してホラー絵じゃのうて、その見事さには圧倒されるがです。

現在、赤岡から西の須崎にかけて、大よそ二百点近い芝居絵屏風が残っちょります。

赤岡の絵金蔵に行けば、常設で御覧になれますけんど、それ以外の芝居絵屏風は殆どお目にかかる事はのうて、所々の夏祭りでお披露目されるがです。

高知に来たら、是非、夏祭りは無理でも赤岡の「絵金蔵」にゃ立寄って、実物を見て欲しいがです。

因みに、絵金さんの屏風絵が見れる有名な夏祭りは、下記の場所です。

・須留田八幡宮の宵宮 :毎年7月14日・15日 日没後(19時頃)~21時頃
  高知県香南市赤岡町本町商店街

・絵金祭り :毎年7月第3土・日曜日 芝居絵が並ぶのは19時~21時頃
   高知県香南市赤岡町本町・横町商店街

・朝倉神社夏祭り :7月24日 
   高知県高知市朝倉丙

やっぱり絵金さんの屏風絵を観るにゃ、ローソクの灯火や提灯に照らされた薄明かりの下で見るのが、一番の醍醐味ぜよ。

チャンスがあったら、絶対におススメですきに。


下記は、当ブログでも以前にご紹介しちゅう関連記事。

夏祭り - 朝倉神社 2009.07.24

絵金祭り 2009.07.19 

初日 - 絵金祭り 2009.07.18

絵金蔵 2008.04.21


文化9年、高知城下に髪結い職人の子として生まれる。幼少の折から絵の才能で城下の評判となり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師・前村洞和に師事する。また幕府御用絵師・狩野洞益に師事したともいわれる。通常ならば10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、林 洞意(はやし とうい)の名を得て高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老・桐間家の御用絵師となる。

しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡される。その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。洞意が実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた洞意に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと洞意を擁護する意見も存在する。

高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれた。この時期の猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵は特に人気が高く、現在も赤岡では毎年7月に各家が屏風絵を開陳する「土佐赤岡絵金祭り」が開かれている。

大政奉還の後は生まれ故郷の高知に戻るが、1873年に中風を患い右手の自由が利かなくなったため左手で絵を描き続けた。

1876年3月8日死去。享年65。

弘瀬金蔵 - Wikipedia
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