南国土佐をあとにして - 元歌の作詞・作曲は土佐出身の兵士たち



[ 高知県高知市五台山・五台山公園 ]


五台山展望台へ続く五台山公園の入口に建っちゅう「南国土佐をあとにして」の記念碑なが。

以前、歌碑「南国土佐をあとにして」 - 五台山山頂 2008.12.08でもご紹介しちょります。

この元の歌は、第二次世界大戦のおり中国北部戦線で戦こうちょった中国派遣鯨部隊(四国混成部隊)の中の高知歩兵第236部隊(鯨部隊)が「よさこいと兵隊」とか「南国土佐節」として歌いよった歌ながです。

故郷を遠く離れた中国大陸で郷愁の念にかられた土佐出身の不特定多数の兵隊たちによって、自然発生的に歌われるようになったがじゃそうです。


調べよったら昭和 と言うサイトに、歌詞があったがです。

鯨部隊作詞・作曲

南国土佐を後にして 戦地へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た

月の露営で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
自分もじまんの声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜

故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったというたより
自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
よさこいよさこい


戦後まもない頃、酒席で兵隊帰りの人が時々歌いよったがを聞いて、採譜したのが武政英策ちゅう人ながよ。

南国土佐を後にして - 武政英策作品集 土佐ふるさとのうた にゃ

『南国土佐を後にして』の原曲を耳にしたのは戦後まもないころ。
酒が入った席で兵隊帰りの人が時々歌っていた。
歌詞を聴いていると、中国派遣鯨部隊(四国混成部隊)の兵隊さんたちの苦労がしのばれるものだった。
ただ、曲になると人によって少しずつ違う。
結局、採譜した節も一部生かして、私の曲として最終的に仕上げたのが昭和27年頃。
それが30年になってNHK高知放送局の電波に乗りレコード化され」、ついにペギー葉山が歌って大ヒット。
発表当時は、おほめの言葉も受けたが、「戦地じゃあこんな軟弱な歌い方をしなかった」のおしかりもあった。
男のバンカラ調から、似て非なる女性的なきれいなメロディーになったから、それもそうだろう。
ただ、私は作曲家として私の曲を作った。
自分のスタイルの曲だとの自負があった。


今日この曲は、作詞:武政英策 作曲:武政英策と記されちゅうけんど、違うろー!と言いたい。

① 昭和にゃ、歌詞も戦を連想させるものをいくつか変えただけで、あとは歌詞もメロディーも同じに歌われています。

② 南国土佐を後にして - 武政英策作品集 土佐ふるさとのうた よりにゃ、採譜した とある。

実際、下線の部分が違うだけで、殆ど同じ歌詞。

こりゃー、今日風に言うたらパクリじゃろー。

当時は、著作権じゃパクリの概念は無かったき、何の問題もなかったろーけんどねー。

彼らの名誉のために言うならば、著作権保護法に照らしても明らかな事で、正確にゃ作詞・作曲:高知歩兵第236部隊(鯨部隊)/補作・編曲:武政英策訂正するべきじゃないかよ。

この碑にも、戦後武政英策の補作編曲によりと明白に刻まれちゅう。

そうなると印税も高知歩兵第236部隊(鯨部隊)の遺族に渡さにゃーいかんぜよ。(^^ゞ

因みに、第40師団歩兵第236聯隊(鯨部隊)の戦没者慰霊碑は、五台山の麓にある高知県護国神社の境内に建っちゅうがじゃそうです。

今年の5月末頃、この曲を歌ったペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」の歌碑を、はりまや橋付近に建てて観光振興につなげようと、地元商店街関係者らーが「南国土佐の歌碑を建てる会」を結成し募金を呼びかけると言うニュースが流れちょったき、今回改めて記載したがです。

「南国土佐をあとにして」の歌のタイトルは武政英策かも知れんけんど、歌そのものは名も無き土佐人の兵士たちが作詞作曲した原曲が存在し、戦後まで歌い継がれちゅう歌があったと言う事を知って欲しいがですき。


[ アクセス ]

・JR高知駅南口よりMY遊バス「桂浜」行きで約47分、「五台山展望台」下車。
・はりまや橋よりMY遊バス「桂浜」行きで約17分、「五台山展望台」下車。

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8 Comments

N.yano さんへ">

N.yano さんへ  

Re: 故友人を想う唄

N.yano さんへ">

コメントありがとうございます。

亡くなられた御友人にとっては、大阪は別の意味での戦地だったでしょうねー。
御冥福をお祈りいたします。

2014/12/09 (Tue) 22:06 | N.yano さんへさん">REPLY |   

N.yano  

故友人を想う唄

「南国土佐を後にして」、土佐から大阪で働いた無二の親友が亡くなったが、この曲を聴くと必ず友人の顔が目に浮かぶが本当に、「ええ奴っだった」。 こいつが大阪でガンバッタから、俺もどんなに、苦しい時きにも負けずに生きてきた。兵隊さんが唄っていたと知って理解できた。故郷高知を離れて働く土佐人。田舎を離れてと都会で働く人々が多くいるが、故郷が目に浮かび、故郷を想う情感のある好きな曲になる。

2014/12/09 (Tue) 20:07 | REPLY |   
オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 鯨海酔狂 さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

コメントありがとうございます。

> 日本に「君が代」土佐にはこの曲。これは必須でしょう(笑)

そうですねー・・・!(^^)!

2010/12/07 (Tue) 22:22 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

鯨海酔狂  

よさこいと兵隊・・

子供の頃、宴席で大人が歌う曲とというたら、”戦友””廣瀬中佐”そして必ずこの曲。しかし、子供心に一番の歌詞と二番の歌詞の矛盾点が納得いかず、「この人は、都へ行ちゅうがやろ?ほいたらどういて月の浜辺で歌いゆうがで?都には月の浜辺らぁ無いやいか」と周りの大人に問い糺すと「桂浜のことを思い出したがが、二番の歌詞よね」「違うちや。今おるがやいか!」
なかなか鋭い小学生でした。(笑)
著作権云々が緩やかな時代でしたが、確かに作者に関しては、作曲者とせず、採譜・補作者としておいたほうが、「盗作」と指弾されることもなかったように思われますが・・。吉田正先生の不朽の名曲、「異国の丘」も色々な歌詞で歌われていたようですし、望郷の念のこもったこれらの楽曲は、作者の力+祖国への想いという相乗効果で、深い感動を覚えるのでしょうね。
日本に「君が代」土佐にはこの曲。これは必須でしょう(笑)

2010/12/07 (Tue) 21:37 | EDIT | REPLY |   

オンチャン(とさっぽ)  

Re: ミーワさんへ

まずは土佐人が、彼らが歌に託した思いを知ってあげんと遺憾きねー。

2010/06/29 (Tue) 21:03 | REPLY |   

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

> この歌にこめられた望郷の思いは語り継ぎ歌い継いで欲しいです。
> 戦ではなくても・・「あとにせざるをえない」思いに私は言葉がありません。

その通りやねー。

> 地元で就職していれば私とは出会わんかったであろう人。
> 夏の帰省の計画を立てる夫を見つつ・・そう思うのです。

龍馬達のように、我々も何がしかの歴史の歯車の一部じゃき。
と思うようになりました。
きっとご主人とも、出逢うべき運命じゃったがですよ。

2010/06/29 (Tue) 21:00 | REPLY |   

ミーワ  

元々は兵隊さんたちが歌っていたものだったとは知りませんでした。
それを知ってこの歌詞を読むとグッと胸に迫るものがありますね。
私も高知を、よさこい節を愛するものの一人として
このことをたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。
まずは今晩家族に話してみようと思います。
オンチャン、教えてくれてありがとう^^

2010/06/29 (Tue) 17:21 | EDIT | REPLY |   

おりがみ  

語り継ぎ歌い継いで

この歌にこめられた望郷の思いは語り継ぎ歌い継いで欲しいです。
戦ではなくても・・「あとにせざるをえない」思いに私は言葉がありません。
地元で就職していれば私とは出会わんかったであろう人。
夏の帰省の計画を立てる夫を見つつ・・そう思うのです。
今年は夫の父の十三回忌です。

2010/06/29 (Tue) 02:07 | EDIT | REPLY |   

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