明保野亭跡





[ 京都府京都市東山区清水 ]


司馬遼太郎「竜馬がゆく」でも、度々登場しちゅう明保野亭。

竜馬がお田鶴さまと密会するくだり。

また、お田鶴さまに会うため料亭「明保野亭」に行く途中で火事に遭遇し、子供を救うためお龍に脇差を預け火災の家に取り残された男の子を助けるが、そのまま立ち去ったため「明保野亭」に竜馬を訪ねる竜馬とおりょうの出会いのシーン・・・。

実は全てフィクション。

ただ、明保野亭は,幕末に志士たちの密議の場となった料亭で、坂本龍馬自身も慶応3年(1867)6月に中岡慎太郎らと密会しちゅう。

また維新史のなかじゃ、明保野亭事件の現場として知られちゅうがです。

元治元年(1864)6月10日に、幕府の命により池田屋事件の残党の捕縛を命じられた新選組が、会津藩士の加勢を得て、長州系浪士が潜伏するとの情報を得た明保野亭に踏み込むがです。

が目当ての長州浪人は居ずに、土佐藩士・麻田時太郎が酒を飲みよったが。

突然、新選組や会津藩士らーが乱入したもんじゃき、当の麻田が驚いて庭へ飛び出したところを、長州系浪士と間違えた会津藩士が槍で一突きにしたがよ。

命に別状は無かったがですが、翌6月11日に土佐藩は麻田を「士道不覚悟」として切腹させた事が事をおおきゅうにして、会津藩も加害者側をも土佐藩に対する謝罪の意で切腹させたがです。

丁度、政変が起こる前の事で、時代の流れが再び公武合体へと変わろうとしよったがですき、会津・土佐両藩共に関係悪化を怖れたが上の、収拾策じゃったがですろー。

石碑には維新 明保野亭跡と刻まれちょりますが、実際の明保野亭はこの石標よりやや北東じゃそうです。
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