古高俊太郎寓居跡



[ 京都府京都市下京区真町 ]


古高俊太郎は勤王の志士で、桝屋喜右衛門と称し薪炭商を営んで長州藩との繋がりが深く、尊皇攘夷の志士らーの支援をしちょったがです。

元治元年(1864)6月5日(7月8日)早朝、新撰組の内偵により捕縛され拷問の末、八月十八日の政変で京を追われちょった長州の志士らーが、御所に火を放って天皇を奪って行くという密談が池田屋で行われることを自白するがです。

そしてその夜の、祇園祭の宵々山で賑わう京の三条小橋の旅館・池田屋に新撰組は緊急出動し、惨劇が起こるが。

この事件で新撰組は、歴史の表舞台に大きく躍り出たがですき。

神戸海軍操練所跡碑 2010.06.07で書いたけんど、この事件が切欠で長州は強攻策に出、7月19日(8月20日)禁門の変(蛤御門の変)を起こし、結果的には長州の惨敗で再び京を追われちゅうがですが、長州は御所に向け発砲したき、朝敵とされ幕府による第1回長州征伐にも繋がっちゅう。

この戦闘の際、会津の攻撃で火が出たのも一つ原因じゃけんど、長州兵が長州藩邸に放火して逃亡したき、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が大火で焼失し、今日の京都の市街地区には歴史的建造物は残っちゃーせんが。

一方、六角獄舎に囚われちょった古高俊太郎は、皮肉にもこの大火で獄舎に火が迫ったため、逃亡を恐れた幕府側役人に斬首されちょります。
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