神戸海軍操練所跡碑




[ 兵庫県神戸市中央区新港町 ]


神戸開港100周年の昭和43年(1968)10月に建てられた錨と書籍のオブジェの「史蹟旧海軍操練所跡」碑 と、それ以前と思われる石柱の「史跡 海軍操練所址」の碑があるが。

文久3年(1863)、軍艦奉行並・勝海舟は、幕府より神戸に海軍操練所の開設を許され、操練所の前身となる海軍塾を開き、坂本龍馬は海軍塾塾頭として、新たな攘夷の方向性を選ぶがです。

この時の主メンバーに、近藤長次郎・沢村惣之丞・新宮馬之助・高松太郎・千屋寅之助、望月亀弥太・ 陸奥源次郎(宗光)らがおった。

元治元年(1864)5月、幕府は此処・神戸村に海軍操練所の開設し、龍馬たちもを含め、幕臣の子弟らーと一緒に練習に励んだがやき。

けんど、八月十八日の政変で失脚しちょった長州の攘夷派達が新撰組に襲撃された池田屋事件を切欠に、過激な尊皇攘夷派らに乗せられた形で長州は京都へ進攻し、禁門の変(蛤御門の変)を起こすが。

これら一連の過激な尊皇攘夷の志士達の中に、池田屋事件で死亡した望月亀弥太・北添佶摩、禁門の変には安岡金馬らの海軍塾生が加わっちょった。

この事が神戸海軍操練所の「海軍操練所は激徒の巣」と幕府より疑いをかけられ、勝海舟は帰国を命じられ軍艦奉行免職という処分を受け、元治2年(1865)3月に海軍操練所は廃止されるがです。

わずか約1年じゃったけんど、坂本龍馬が大きく成長して行った時期じゃったがです。

そいて、勝海舟は龍馬達の未来を西郷隆盛に託し、薩摩藩邸に匿われちょった龍馬らーは4月に薩摩藩船に乗って、九州へと新たな船出をして行ったがです。
関連記事

  



2 Comments

オンチャン  

Re: 北さん へ

当方も、受け売りの浅井知識で書いっちょります。
少しでも、時系列が判れば嬉しいがですき。
最近は龍馬伝も殆ど見ちゃーせんがですが、次週の予告だけを確認して、関係ありそうな事柄をなるべく選んじょります。
そのうち、ネタが着きそうです・・・"^_^"

2010/06/07 (Mon) 21:23 | REPLY |   

北さん  

いつも詳しい説明をありがとうございます。
昨夜の『龍馬伝』で丁度放送されていました。
ブログを読んでいくうちに僕のような歴史音痴も、
段々時代の流れのようなものが分かりかけてきました。

2010/06/07 (Mon) 13:31 | REPLY |   

Leave a comment