望月亀弥太墓 - 龍馬の蝦夷開拓の夢の前に、池田屋騒動で自刀





[ 高知県高知市横内 ]


望月亀弥太は、天保9年(1838)に土佐郡小高坂村西町に白札郷士・望月団右衛門真澄の二男として生まれちょります。

兄・望月清平と兄弟揃って土佐勤王党に加盟しちょるけんど、名前は消されちゅう。

文久2年(1862)山内容堂の護衛のための五十人組に加わり江戸に出た際、坂本龍馬の紹介で勝海舟の元に入門し、神戸海軍操練所で学ぶがやき。

文久3年8月18日の政変(八月十八日の政変)が起こると、土佐藩も土佐勤王党への弾圧を始め、武市瑞山らが投獄されるとともに、神戸海軍塾で修行しちょった土佐藩士らに対しても帰国命令が出るがよ。

皆んなー悩んだろーねー。

土佐に”いなん(帰らん)”かったら「脱藩」、かと言って土佐に”いんだら(帰ったら)”「投獄」は必至。

元治元年(1864年)帰国命令を無視して脱藩し、長州藩邸に潜伏し武力討幕派に転向して行くがやき。

そして、悲劇が起こるがよ。

世に言う、池田屋騒動。

元治元年(1864)6月5日の夜、京都三条木屋町の旅館・池田屋に京都守護職配下の新撰組が、長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃したがです。

この闘争で望月亀弥太は、深手を負いながらも長州藩邸に辿り着いたけんど、長州藩邸に入る事を許されず、追っ手に追いつかれたために門前で自刀しちょります。

享年27歳。

望月亀弥太の墓は京都・三縁寺(京都市左京区岩倉花園町)にあるがですが、土佐にある墓碑の裏には辞世の句が刻まれちょります。

行く秋に よしおくるとも 紅の 散りてぞ匂え 木々の紅葉

望月亀弥太の他に土佐藩関係では、土佐勤王党の北添佶摩・石川潤次郎、上士では、偶々池田屋付近を通りかかったがために野老山吾吉郎と藤崎八郎が負傷して自刀しちょります。 

池田屋騒動が起こる前の文久3年(1863)、坂本龍馬の指示で北添佶磨や望月亀弥太らは蝦夷地開拓計画をしちょった。

その直後の事件で、神戸操練所の塾生・望月亀弥太が池田屋事件関与した事から、師である勝海舟に迷惑がかかると判断し、残念ながら龍馬の夢は消え去ったがですが、坂本龍馬も勝海舟も、その死を嘆いたとか・・・。

[ 参考 ]
望月亀弥太 - Wikipedia
池田屋事件 - Wikipedia
坂本龍馬大事典 - 新人物往来社 

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