河野敏鎌生誕地 - 龍馬脱藩の際、朝倉村まで見送り



[ 高知県高知市上町2丁目 ]


河野万寿弥(敏鎌)は天保15年(1844)、高知城下北奉公人町に山内家家臣・河野通好の長男として生まれちゅうが。

安政5年(1858)江戸に遊学したおり、武市半平太と意気投合し、文久元年(1861)年8月土佐勤王党が結成されると加盟しちゅう。

坂本龍馬とも交友があり、文久2年(1862)3月24日に龍馬が脱藩した時、高知城下の西・朝倉村まで見送りに行ったのが、この河野万寿弥ながやき。

それに吉田東洋が暗殺された時、雁切河原に首を晒したのも、この河野万寿弥とされちょります。

文久2年(1862)、五十人組に参加し、京都と江戸の間を往来し、国事に奔走しちゅう。

文久3年(1863)の政変で土佐勤王党への弾圧が始まり、武市半平太半が捕縛された同日に、河野万寿弥は小畑孫次郎・小畑孫三郎・島村衛吉の4名と共に捕縛され投獄されるがです。

そいて慶応元年5月11日に武市半平太ら土佐勤王党員に対し処分が決まると、河野万寿弥の他、森田金三郎・山本喜三之進・島村寿之助・小畑孫次郎・小畑孫三郎・島本審次郎は、明治維新までの約6年間禁獄、永牢に処せられたが。

明治維新になって罪を免ぜられ出獄すると、後藤象二郎の手引きで大阪に上り、後藤の紹介で江藤新平を知る事になるがです。

明治2年(1869)江藤新平の推挙で侍詔局に出仕し、その後、広島県大参事に転じ、司法大丞兼大検事となる。

明治6年(1873)に、朝鮮出兵を巡る征韓論から発展した明治六年政変で、江藤新平は西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎らと下野する。

そいて明治7年(1874)2月16日、佐賀征韓党首領として擁立された江藤新平が士族反乱である佐賀の乱を起こすと、捕えられた江藤新平を、急設された佐賀裁判所で裁いたのも、司法省時代の部下であった河野敏鎌じゃったがです。

明治28年(1895)52歳で死去しちょります。

河野敏鎌 - Wikipedia
江藤新平 - Wikipedia




[ アクセス ]

・土佐電鉄「上町1丁目」電停下車、約160m。
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4 Comments

オンチャン  

Re: わたわたさんへ

拙い文章で書いちゅブログやけんど、読んでいただいてありがとう。
また、覗きに来て見てや。

2010/05/28 (Fri) 00:24 | REPLY |   

わたわた  

いつか土佐へ

初めてお邪魔しましたーー。
土佐に行ったことはないですが、
大河ドラマの影響で、いつか土佐を歩いてみたいと思ってます。
写真もきれいに撮ってて楽しく読ませてもらいました。

龍馬も33歳で無念の死をとげますが、
以蔵さんも28歳でこの世を去って、私と同じ歳・・・。
どんな思いだったのかと想像すると胸が痛いです。
土佐に行ったら、お墓にお参りさせてもらいたいと思います。
では、また見に来ます。

2010/05/27 (Thu) 23:52 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 中平さん

そんな、こたーないぜよ。
自分も土佐へ、もんて来たら知らん事が多すぎたがやき。
此方こそ、知らん事があったら、逆に教えてつかーさいや。

2010/05/27 (Thu) 22:01 | REPLY |   

中平  

ガッカリせんとってヨー 見せてもらいゆうけんど
なんせ知らん事が多いき なんちゃあコメントが
できんがやきぃー土佐におって知らんがは
げに恥ずかしい・・・ちっとは頭はいりゆう
これからも見せてもろうて勉強するきんねぇ
現地へ行ってみたら記憶に残る気がするがやきー
近場はなるだけ行くようにしちょります。

2010/05/27 (Thu) 21:08 | REPLY |   

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