三嶋神社 - 脱藩の道と土佐七守護・津野氏に所縁の地


左:参道入口と御幸橋                  右:御幸橋

本殿と朝鮮松(左)

[ 高知県高岡郡梼原町川西路 ]


三嶋神社の祭神は大山祗命と雷神で、秋には国の重要無形民俗文化財に指定されちゅう津野山神楽が奉納される事でも有名で、創建して約1100年近い由緒ある神社ながやき。

本殿へは、参道入口から檮原川に架かる屋根付きの木の橋・御神幸橋を通って、三島神社の本殿に参拝するがです。

三嶋神社の由来は、津野山郷の開祖・津野経高が梼の木が多いこの地を梼原と名付けたがが始まりで、延喜19年(919年)竹の薮より移り、居城を築き、梼原宮首に伊予の国より、三嶋神社を観請したと言われちょります。

また、藤原純友の乱のとき、伊予・河野氏に協力して純友征伐に向かい、伊予三大明神に詣で純友の乱の平定後に帰国した際、伊予三嶋大明神も勧請して祀ったとも伝えられちゅうがやと。

慶応4年(1868年)3月、三嶋大明神を三嶋神社と改称、明治40年(1907年)、明治44年(1911年)に梼原地区無格社21社が合祀されちょり、現在の本殿は、享和3年(1803年)、拝殿は明治23年(1890年)に再建されちゅうがです。

また、境内には檮原町の指定文化財になっちゅうハリモミの樹が植えられちょり、朝鮮松と呼ばれちゅう。

この樹は、文禄元年(1592)の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、長宗我部元親に加わって従軍しちょった、津野親忠と中平左京之亮光義が帰還の際、朝鮮より持ち帰って此処に植えたがじゃそうです。

ですき、樹齢約400年は経っちょり、樹高約30m、周囲約3.7mもある松の巨木になっちょります。

脱藩の道の説にも色々あり、此処を通ったか否かは判らんけんど、檮原町では此処・三嶋神社の御幸橋を渡って神社前を左に通るルートを指定しちょります。

信憑性は別にして、坂本龍馬たちも通ったやま知れん脱藩の道にも関係し、古くは長宗我部元親の時代にも所縁のある神社ながぜよ。


津野親忠は、長宗我部元親が津野氏を攻めたとき、津野勝興を降してその養子として、津野氏の当主となったが。

天正13年(1585)に四国制覇した元親に、羽柴秀吉からの伊予、讃岐の返納の命令を受けるが断ったため、秀吉の軍勢に負れ阿波・讃岐・伊予を没収されて土佐一国のみを安堵されるがですが、この時に津野親忠は人質として秀吉のもとに送られちゅう。

天正14年(1586)の戸次川の戦いで長兄・長宗我部信親が戦死すると、家督相続争いに巻き込まれ、家督が弟・盛親が継ぐことに決まると、慶長4年(1599)には元親によって幽閉されるがです。

これは元親の家臣・久武親直が、津野親忠自信は家督相続の件に関し不満を持っちゃーせんかったのに、「嗣子になれなかったことを恨みに思ちゅう」と元親に讒言(事実をまげ、またいつわって他人をあしざまにいいなすこと)された事で、慶長4年(1599)に香美郡岩村に幽閉されるがです。

濡れ衣じゃき・・・・。

慶長5年(1600)、長宗我部盛親は関ヶ原の戦いで、西軍に加担して敗北。

この時、津野親忠は藤堂高虎を通じて勝利した徳川家康に、西軍に加担した事への許しを請い、何とか長宗我部家の存続を願い出て許すと言う内意を得るがです。

しかし、またしても久武親直が「津野親忠は、藤堂高虎と結んで東軍に通じた気配あり。藤堂高虎の斡旋で土佐半国を与えられる内意を得た。」と盛親に讒言し、それを信じた長宗我部盛親は肉親に裏切られたと思って、津野親忠を殺害してしまったが。

結局、この「津野親忠」殺害事件が徳川家康を激怒させる直接の原因になり、長宗我部盛親の謝罪にも関わらず「兄殺し」を咎められ、所領を没収されて改易となったがです。

元々、徳川家康も西軍生き残り大名を処罰するために、理由は何でも良く口実が欲しかっただけじゃろうーけんど。

それにしても、全ては家臣・久武親直の謀略から始まって、謀略で終わっちゅう。

家臣に久武親直が居らんかったら、土佐も幾分か違うちょったがじゃろうーねー。

長宗我部盛親に、兄・津野親忠を殺すように進言した、当の久武親直は、長宗我部家断絶後は逃げるように土佐を離れ、九州に渡って肥後の加藤清正に仕えたと・・・・・。


その久武親直の兄・久武親信は逆に誠実な性格から長宗我部元親に仕え重用され、高岡郡佐川城を与えられたという人じゃけんど、その兄でさえ岡本城攻防戦で討死する直前に、長宗我部元親に「決して弟の彦七(親直)は腹黒き男ゆえ、お取立て召されるな、お家のためにはならん」と言い残したとか。

この奸臣(よこしまな家来。 腹黒い家臣。)久武親直が起こした謀略の一つ、長宗我部家の「家督相続争い」に巻き込まれて殺された人々の怨念が「七人ミサキ」の伝承に繋がって行くがです。

また別の機会に。

津野親忠 - Wikipedia
長宗我部氏 - Wikipedia

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