愛妻之碑 - 鹿持雅澄



[ 高知県高知市丸ノ内・高知城 ]


鹿持雅澄が、家族を高知城下の福井に残して、単身で室戸方面に赴任した時、大山岬で詠んだ歌じゃそうです。

「冷たい秋風の吹く福井の里に妻を残して此処まで来るには来たものの、まだこの大山峠を越して行かなければいけないけれど、残して来た妻の事が気がかりで心配・・・」だと言うような意味かねー。

大山岬と言うのは、高知城下から室戸に至る、おおよそ中間地点でもあるが。

この歌碑は、山内一豊の妻・千代の銅像が建っちゅう高知城・杉ノ段の一角に建っちゅうがやきけんど、観光客も意外と気付かないで通り過ぎちょりますねー。

何でも、この碑は昭和和36年に土佐愛妻会が建立したそうじゃけんど、建立秘話がある。

それは、民族学・郷土史研究者で高知県立図書館長を勤められた川村源七氏が、病気の清枝夫人に献身的な看病をしたそうで、当時、多くの人に感動を与えたそうながでして、そうした経緯から夫人の死後に「愛妻之碑」を竣工する運びになったそうながです。

鹿持雅澄と言う人も愛妻家としても有名な人じゃったき、若くして夫人を亡くした後も、追慕の歌を多く残しちゅうがやか、それで選ばれた歌がこの歌碑の歌じゃそうですき。

鹿持雅澄の妻・菊子さんは武市半平太の叔母さんになりますきに。

その武市半平太も、また愛妻家の一人じゃった人ながやき。


[ アクセス ]

・JR高知駅より徒歩約20分。
・土佐電鉄・路面電車で「高知城前」電停下車、徒歩5分。
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2 Comments

オンチャン  

Re: おりがみ さんへ

> 単身赴任・・はいつの世もある。

そうじゃねー。

戦国時代は子供達を人質として取ったり取られたり。
徳川幕府が諸大名の謀反を起こさせないように、側室を江戸藩邸に住まわせたり・・・。
と知られていない、数多くの無慈悲な離別があったがですろー・・・・。

国を出奔したり、家を離れると言う事はある意味一大決心で、長期に至っては最後の別れになるかも知れんと言う覚悟があったろー。
そのため常日頃から家を守ると言う道徳観から、残された家族は大家族中心の深い絆で守られたがじゃないろーか。

鹿持雅澄の歌を詠むと、奥さんに対する思いが込められちゅうがですが、この時代の誰しも遠く故郷を離れても、親兄弟・妻子を思いやる気持ちは、現在よりは強かった。

龍馬が手紙の中で、何気ない言葉の中に、故郷の家族を思いやっちょるように。

そう言う意味では、逆に現在は企業が転勤をさせる事の方が、家族を崩壊させ、家族の絆を希薄にさせちゅうように思う。

どっちが幸せなんだろうと、思ったりも・・・。

2010/05/27 (Thu) 00:58 | REPLY |   

おりがみ  

妻を思う・・か・・

単身赴任・・はいつの世もある。
交通機関の未発達な時代は今生の別れになったかもしれぬ・・と思うと家族が今以上に翻弄されたかも。罪作りですねぇ・・。

2010/05/26 (Wed) 23:26 | EDIT | REPLY |   

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