国沢新九郎生誕地 - 土佐藩船「夕顔丸」の艦長





[ 高知県高知市大膳町 ]


この国沢新九郎生誕地碑は、日本西洋画の祖と記されちょりますけんど、龍馬ファンにはもう一つの顔があるがやき。

国沢新九郎は、弘化4年(1848)、土佐藩士・国沢好古の子として土佐国小高坂村(現・高知市)に生まれちょります。

坂本龍馬が、12歳年上になるがよ。

そんで、そのもう一つの顔と言うのは、土佐藩船「夕顔丸」の艦長を務めた人ながよ。

「夕顔丸」言うたら、慶応3年(1867)7月に起こった、イギリス軍艦イカラス号水夫殺害事件が発生し、海援隊に嫌疑がかかった際に、須崎湾の洋上で後藤象二郎とイギリス公使の談判の舞台になった船ながです。

明治元年(1968)11月に海軍局頭取、翌年2月に海軍指揮役兼大監寮となり、夕顔丸の船将として箱館戦争中の函館を往復しちょります。

その人が、如何いて日本西洋画の祖と言われちゅうかと言うと、何でも明治3年(1870)にアメリカ経由でイギリスに留学しちゅうがですが、その際にロンドンでジョン・ウィルカムと言う人に師事しちゅうが。

そんで明治7年(1874)に帰国し、東京・麹町平河町に私塾「彰技堂」を開設、留学先より持ち帰った石膏像などを用い
、当時西洋で油絵を勉強してきた唯一の人として多くの門人に西洋画法を教えたがですが、滞欧中に感染しちょった肺疾のため明治10年(1877)に亡くなっちょります。

享年29歳。

画家としても短命じゃったがです。


[ アクセス ]

・土佐電鉄「上町一丁目」電停下車、徒歩約2分。
・坂本龍馬生誕地から、約230m。
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