田内衛吉の墓 - 井上佐一郎暗殺に関与し、獄中服毒死







[ 高知県高知市薊野北町 ]


田内衛吉は、天保6年11月、長岡郡吹井村の白札郷士武市半右衛門の二男として生まれちょります。

兄は、武市半平太(瑞山)ながよ。

何歳の頃かは定かじゃ無いがですが、高知城下の用人格・田内菜園の養子となったようで、養父・田内菜園は和漢・和歌に通じた人で、叔父・鹿持雅澄は有名な国学者じゃし、兄・半平太は後の土佐勤王党の首領と、考えたら幼少期から何とも凄い環境で育っちゅうけんど、本人は学問よりは武芸に勤しんだようながです。

土佐勤王党には92番目に加盟しちょりますねー。

そいて岡田以蔵らと、吉田東洋暗殺犯の捜査をしよった井上佐一郎を、暗殺する事になるがです。

その後、政変後の土佐勤王党の弾圧で捕まり、元々体が弱かったらしゅうて厳しい取調べに絶えられるかが懸念されたようで、元治元年11月28日に山田獄舎で服毒死しちょります。

享年30歳。

写真の田内衛吉の墓石は倒されちゅうがじゃのうて、風化により表面が剥離し始めちょりますき、崩壊しないように横倒しにしちゅうがです。

既に、田岡の苗字の部分は読み取れん状態になっちょり、何とも哀れに見えるがですき。
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2 Comments

オンチャン  

Re: ポン さんへ

> 田内衛吉さんのお墓、今こんなことになってるのですか…

土佐の墓山は荒れ放題になっちゅう所が多く、存在を知っっちゅう人も少ないし、探すのも大変な場合が多々あるがです。

それに、見つけても草ボウボウ状態の所が殆ど・・・・・。

子孫の方が土佐を離れたりして管理が行き届かないか、家系が絶えて無縁仏になってたりしてるんでしょうねー。

2010/05/12 (Wed) 22:50 | REPLY |   

ポン  

田内衛吉さんのお墓、今こんなことになってるのですか…
自分は以蔵よりも田内衛吉や島村衛吉の方が好きなのですが、やはりここに訪れる人は少ないのでしょうね。。
武市半平太の弟でありながら服毒死とは痛ましい人だなと思います。マイナーですが惹かれる人物の一人です。

2010/05/12 (Wed) 21:01 | EDIT | REPLY |   

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