弘瀬健太の墓  









[ 高知県高知市平和町 ]


土佐勤王党員の広瀬健太は平井収二郎や間崎滄浪と共に、土佐藩の藩風を一新するために画策した「青蓮院宮令旨事件」が山内容堂の知る所となり、その逆鱗に触れ投獄・処刑されたがです。

この事件が発端で、山内容堂の怒りは一気に爆発し、土佐勤皇党に向けられるようになり、弾圧がはじまることになるがです。

弘瀬健太は、天保7年高知城下井口村(高知市井口)の用人・弘瀬喜代助の長男として生まれちょります。

高杉晋作や久坂玄瑞らの、横浜洋館焼き討ち事件の企てにも参加しちょります。

享年28歳。
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment