廣井磐之助邸跡 - 勝海舟と坂本龍馬の援助で父の仇討ち 



[ 高知県高知市西町 ]


廣井磐之助は土佐藩士・廣井大六の子で、17歳の時、父の仇を討つため諸国を巡るがじゃけんど、土佐を出てから8年の歳月が過ぎ仇討ち免除期間が過ぎても、探す仇・棚橋三郎を探し当てる事が出来んかったがです。

9年目の文久3年(1863)、大阪で廣井磐之助の苦難を知った坂本龍馬は、勝海舟に事の次第を打ち明け、再び仇討ち免除と諸国の役人宛ての探索依頼状を受け、勝海舟の門弟になりながら捜索を続けたがです。

やがて紀州で工事人夫にそれらしき人物が居ると知ると、留守中の勝海舟と坂本龍馬に変わりに、千屋寅之助と新宮馬之助と共に紀州藩に出向き、棚橋三郎を取り押さえてもらい、紀伊と和泉の国境で見事に父の仇を討ったがです。

廣井磐之助は涙ながらに、坂本龍馬に礼を述べたそうながです。

翌年の元治元年(1864)、土佐に戻った廣井磐之助は、それまでの長旅で心身ともに病んでいたのか、亡くなっちょります。

享年、27才。

この仇討ちが、「境橋の仇討ち」として有名な、日本最後の仇討とされちょります。

廣井磐之助の邸跡に建つ石碑には、親孝行な子を意味する「孝子」の二文字が刻まれちょります。


[ アクセス ]

・土佐電鉄「上町2丁目」電停下車、北に約360m。
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