寺田寅彦の墓 - 妻たちの歳月


[ 寺田寅彦の墓 ]


[ 3人の妻(右から)、夏子、寛子、紳の墓 ]


[ 右より、父・利正、母・亀、寅彦、3人の妻の墓 ]


[ 説明板 ]

[ 高知県高知市東久万 ]


寺田寅彦は、3回結婚しちょります。

最初は、寅彦が18歳の時、14歳の坂井夏子と結婚しちょるがですが、要するに、学生結婚じゃったがですねー。

けんど不運なことに、結婚して3年目のある日、夏子が突然血を吐いたがです。

病名は肺結核・・・・その時、妻・夏子は妊娠しちょったがです。

そして翌年2月に、彼女は高知市の種崎に移り療養に入ったそうで、5月には無事・女の子が生まれちょります。

東京に居った寅彦は知らせを聞き、「幸ありて桃の若葉と照り栄へよ」と日記に書いたがです。

長女の名前は貞子、寅彦の父・利正が名づけちょります。

しかし、夏子の容態は回復することなく、翌年の秋、19歳で亡くなっちょります。

何とも、幸薄い女性じゃったがですねー。

夏子が亡くなって3年目の、寅彦27歳の時、浜口寛子と再婚したがですが、13年後に寛子死去、享年31歳。

寅彦40歳の時、酒井しん子と再々婚し晩年を暮らしたがですが、寅彦も転移性骨腫瘍で57歳で病死しちょります。

今此の寺田寅彦の墓所には、本人と父・母、3人の妻達と深い眠りに付いちょります。

熊本の第五高等学校で英語教師の夏目漱石に俳句を学び、生涯師事しちょった関係じゃったようですき、夏目漱石の「吾輩は猫である」の水島寒月や、「三四郎」の野々宮宗八は、寅彦がモデルじゃとも言われちょりますねー。
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment