寺田利正の墓 - 井口事件(栄福寺門前事件)宇賀喜久馬の兄


[ 寺田利正の墓(寺田寅彦の父) ]


[ 妻・亀の墓(寺田寅彦の母) ]


[ 高知県高知市東久万 ]


寺田利正は、長宗我部家の家臣の出で郷士じゃった宇賀良平の次男として生まれ、同じ郷士の寺田久右衛門の養子になり寺田利正を名乗るようになっちょります。

坂本龍馬の幼友達であったようですねー。

井口事件(栄福寺門前事件)の下士側の宇賀喜久馬の兄になる人で、池田寅之進と共に事件の責めを負って切腹した際、弟・喜久馬の介錯をしたのが、この兄・寺田利正です。

その時、弟・宇賀喜久馬は19歳、介錯をした兄は、その後ノイローゼ気味になり精神的にも苦悩する日々が続いたそうです。

その後、寺田家に養子に入った利正は、家族には一切この事件のことは話さんかったそうじゃけんど、息子の寅彦が祖母から聞いた話として、随筆集「渋柿」に数行書かれちょります。


安政時代の土佐の高知での話である。

刃傷事件に座して、親族立会の上で詰腹を切らされた一九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。

居合わせた人が、あわてて其場にあった鉄瓶の湯をその老媼の口に注ぎ込んだ。

老媼は、其鉄瓶の底を撫で廻した掌で、自分の顔を矢鱈と撫で回した為に、顔中一面に真黒い斑点が出来た。

居合わせた人々は、さういふ極端な悲惨な事情の下にも、矢張りそれを見て笑ったさうである。


この数行の文章じゃけんど、岩波書店「寺田寅彦全集1巻」の巻末にー『団栗』の背景についてーと題した解説を書いている安岡章太郎は、「・・・この短文は一見、何でもない昔話のようだが、ここには寺田寅彦の胸底にある歴史・郷土・血族などへの想いが、すべて塗り込められていると言っていい。・・・」と書かれちょります。

この寅彦こそ、日本の物理学者、随筆家、俳人であった「寺田寅彦」その人ながです。

「天災は忘れた頃にやって来る」は、有名な言葉ですよねー。

また安岡章太郎は土佐郷士の家の出身でして、山北両烈士の碑 - 安岡覚之助、嘉助兄弟 2008年12月26日でもご紹介しちょりますが、宇賀家の遠縁になりますき、寺田家とも姻戚関係になるがです。

その安岡章太郎氏の「流離譚」には、宇賀喜久馬はが切腹した時、わずか13歳じゃったと書かれちょります。

写真の苔むした墓は、寺田寅彦の父・利正と母・亀の墓石です。

因みに寺田寅彦の名前の由来は、寅年の寅の日生まれじゃった事から付けられちょります。
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2 Comments

オンチャン  

Re: たんち山さんへ

> 喜久馬さんのお兄様はこちらに眠ねむられているのですね。

是非行って見てください。
存在を知ってあげる事も、供養ですからねー。

2010/04/21 (Wed) 08:57 | REPLY |   

たんち山  

喜久馬さんのお兄様はこちらに眠ねむられているのですね。

寺田寅彦邸には何度か行きましたが こちらへは行った事があ

ありません 蚊が出ないうちに 参りたいと思います。


2010/04/21 (Wed) 00:11 | REPLY |   

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