間崎滄浪(哲馬)邸跡 - 青蓮院宮令旨事件で投獄





[ 高知県高知市北本町1丁目 ]


間崎哲馬は、天保5年(1835)に医師・間崎総之亮則忠の子として生まれ、6歳にして漢詩文を読む事が出来たそうで土佐の三奇童と呼ばれたそうながです。

頭が良かったがじゃねー。

土佐では岡本寧浦に師事し、江戸では安積艮斎に学び3年後には塾頭を務める程じゃったそうながです。

土佐に戻んて来て此の地に私塾を開き、門弟には吉村虎太郎・中岡慎太郎・能勢達太郎・沢村惣之丞らーが居ったがですが、弟子の吉村虎太郎や中岡慎太郎らは、此の師の思想を受継いで、倒幕家となって行ったがかも知れんねー。

また吉田東洋にも才を認められ、一時期登用されちょった程ながです。

文久元年(1861)に土佐勤皇党に加盟しちょりまして、江戸や京都を奔走しちょりますが、「青蓮院宮令旨事件」に関わったがために土佐に送還され、文久3年6月8日(1863)に平井収二郎や広瀬健太らと「郷士の身分で藩を動かした」罪で死罪になったがでして、彼らは土佐勤皇党最初の犠牲者となったがです。

介錯人は間崎哲馬の従兄弟・間崎道琢(琢一郎)が務め、残された哲馬の一人娘・雪子を引き取り養育したそうながです。

号は「滄浪」、享年30歳じゃったがです。
 
文久2年(1862)にゃ、脱藩して江戸に居った坂本龍馬とも、親密に交際をしちょった事は書簡に残っちょります。


[ アクセス ]

・JR高知駅から、約500m。
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2 Comments

オンチャン  

Re: ポンさんへ

> 初めまして、いつも楽しみに拝見させてもらってます

ありがとう。

> とうとう来月念願の高知に行けることになりまして…画像のみならず、詳細な地図とアクセス方法まで載せてくれるので、旅行者にとってこんなにありがたいことはありません。このブログを参考にいろいろ回ってこようと思っています!^^

そりゃー楽しみやねー。
お役に立てれば幸いです。

オンチャンも、最初の頃は史蹟や志士達のお墓を探すのに、何処を如何探して良いのか判らんかった事が多かったがです。
自分が判らんのに、特に旅行者にゃ土地勘も無いのに判る分けないものねー。
こりゃー如何と思うたのが、このブログの切欠ながです。

> 折角郷土から素晴らしい人を出しているのに、勿体ないような、さびしいような気持ちになりました。

ごもっともですねー。

> 記事の間崎滄浪もとても気になる人物ですので、是非邸宅跡にも東久万の墓にも参りたいと思っております。
> ただそのお墓の場所が調べてもよく分からないのですが…汗
> 何かご存知でしたらご教授下さい;

5月の連休に来られるんかいな?
まあ、近いうちに掲載する予定ですき、ちーっと待っちょってや。

箱物の施設もエエけんど、この世に生を受け歴史を見つめて来た証人達に逢えるがは、龍馬の家族や仲間たち、それに同じ時代を生き抜いた人らーのお墓です。

維新の時に亡くなった多くの志士たちもは、悲観して死んで行ったがじゃのうて、未来を生きる我々に希望を託して逝ったがです。

墓前で手を合わしてあげたら、きっと声が聞こえるかも知れんぜよ。

「ポンさん、まっこと、よう来たねー。土佐を楽しんで行よ~。」ってね。

2010/04/19 (Mon) 23:22 | REPLY |   

ポン  

初めまして、いつも楽しみに拝見させてもらってます
とうとう来月念願の高知に行けることになりまして…画像のみならず、詳細な地図とアクセス方法まで載せてくれるので、旅行者にとってこんなにありがたいことはありません。このブログを参考にいろいろ回ってこようと思っています!^^

最近高知の方と知り合いになる機会があったのですが、その方は武市半平太が土佐出身だと知らなかったようで…、オンチャンさんも前記事でおっしゃられておりましたが、折角郷土から素晴らしい人を出しているのに、勿体ないような、さびしいような気持ちになりました。
記事の間崎滄浪もとても気になる人物ですので、是非邸宅跡にも東久万の墓にも参りたいと思っております。
ただそのお墓の場所が調べてもよく分からないのですが…汗
何かご存知でしたらご教授下さい;
長々と失礼しました。これからも応援してます!

2010/04/19 (Mon) 22:17 | EDIT | REPLY |   

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