広瀬健太生誕地・邸跡 - 青蓮院宮令旨事件で投獄





[ 高知県高知市井口町 ]


此処も、探すがに四苦八苦した場所ながで、よう見んと判らん場所にあるがです。

周囲には何の標識も無いし、地元の人らーも知らん・・・・聞いたら「そりゃー誰でよ?」と逆に質問された次第・・・。

時代も変わり、新・旧住民の移り変わりもあるきに知らん人が居っても不思議じゃないけんど、余りにも郷土(地元)の事を知らな過ぎるのも如何かと思うがですよ・・・・・。

この広瀬健太は、文久元年(1861)に土佐勤皇党に加盟し、国事に奔走することになるがです。

平井収二郎や間崎滄浪と土佐藩主・山内豊資を味方に付け動かす為に、青蓮院宮から土佐藩に勤王奨励をするようにとの藩政改革を迫る令旨を賜り藩に提出したがです。

けんど、土佐勤皇党に警戒心を持っちょった重臣達は事を進めず、その内に山内容堂の知る所となり、逆鱗に触れた3名は捕えられ山田橋獄舎に投獄され、郷士の身分で藩を動かした罪で切腹を命じられたがです。

会社で例えれば、経営陣を差し置いて下っ端がかってに会社の運営方針を変えようとしたようなもので、藩に対して謀反・反逆の何者でもないわねー。

土佐勤皇党のやった事は、吉田東洋を暗殺した後、良かれ悪しかれ自分達の思惑通りに藩論を変えて行ったけんど、如何せん事を急ぎ過ぎたが為に、廻りが見えん様になって何でも思い通りになると過信し過ぎた事が悲劇へと繋がったがじゃと思うがです。

広瀬健太、享年28歳じゃったがです。


[ アクセス ]

・土佐電鉄「上町5丁目」電停下車、約150m。

・永福寺より、江の口川沿いに東に約230m。
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