山田橋番所跡・獄舎跡 - 岡田以蔵や平井収二郎らの非業の地 





[ 高知県高知市はりまや町3丁目 ]


手前(南側)から、江の口川に架かる山田橋を北に渡ると、幕末までは郭外で土佐藩の藩主の参勤交代の際も此の番所を通って江戸に向こうたがでして、高知城下に出入りするための北の玄関口で高札場じゃった場所です。

写真の橋南詰東側(右側)が藩の獄舎跡で、西側(左側)が番所跡じゃったそうながです。

この獄舎は、文久2年に藩政改革推進のため青蓮院宮の令旨を賜ったことが山内容堂の逆鱗にふれ、平井収二郎・間崎滄浪・弘瀬健太らが投獄され切腹処刑された所ながです。

その後も、土佐勤皇党の獄で多くの志士たちも捕えられ斬首の刑に処せられた所で、その中には岡田以蔵も居ったがです。

また此処は「はりまや橋の坊さんかんざし」でも有名な「純信・お馬さん」にもチックと関係があるがです。

駆け落ちした純信とお馬さんが、金毘羅さんの表参道傍にあった旅籠で捕えられ土佐に連れ戻されて、罰として4ヶ月の入牢の後、この山田橋番所や、三ツ頭番所と思案橋番所でそれぞれ3日間の面縛(晒しの刑)に処せられたがです。

そいて、別々に郭外に追放されちょります。

勤皇の志士や、純信とお馬さん、それに「野中兼山邸跡の碑 - 本来の跡地に建てられちゃーせん理由 2009年11月20日」「雁切橋袂にあった処刑場付近 2010年03月21日」でも書いた薫的和尚の入牢した獄舎の一部は存在し、現在ある場所にあるがです。

また、別の機会にご紹介しますき。


[ アクセス ]

・土佐電鉄「高知橋」電停下車、徒歩直ぐ

・JR高知駅から、約400m。
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