中平久左衛門墓 - 井口事件(栄福寺門前事件)下士・中平忠次郎の祖父



[ 高知県高知市山手町・丹中山 ]


中平久左衛門さんは、永福寺門前事件(井口事件) の下士側の当事者・中平忠次郎のお爺ちゃんになるがです。

中平氏の御子孫の方から、「背丈くらいの屋根付きの宝暦時代のご先祖のお墓が残っています。大小寄せて13基ほどありました・・・。」と言う情報をいただき、ちょっと見て来ました。

木々に埋もれるようになっていたので近寄れなかったのですが、確かに傘のある立派な墓石です。



かなり位が高い家柄だったのではないかと想像しますが、井口事件(栄福寺門前事件)で格禄没収の処分がなされています。
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4 Comments

オンチャン  

Re: 中平様へ

> お尋ねの件
> 土井(この土居かも)家に池田家から養子に行ってますねぇ

ありがとうございます。
やっぱり、そうでしたかー。

> 手元には中平の過去帳しかありませんが・・
> 乙女さんへの手紙をみてびっくりですよ・・・


平井家
||
|| 平井収二郎・加尾さん達の祖父の娘・以登が、池田有年に嫁ぐ
|↓
|池田家:以登の子供が、池田忠三郎・佐之助・陽三郎さん達
||                 ↓
||               土居家に養子
||
|池田家:池田寅之進・中平忠次郎
|            ↓
|          中平家に養子に入る 
↓  
望月家:平井収二郎・加尾さん達の祖父の兄の子が、望月清平・亀弥太さん達

全て繋がりますねー。
そう、平井家・池田家・望月家・土居家・それに中平家と、皆さん姻戚関係にある、御親戚なんです。

それも、加尾さん以外は経緯は如何であれ、やがては国を動かす原動力の礎になって行った、多くの志士を輩出された家柄です。

皆さん誇れる御先祖達です。

> オンチャンさんは「土佐史談会」の方ですか?とても詳しい

土佐史談会は知っていますが、ただの龍馬ファンで、これまでに知りえた何らかの書物のうけうりですよ。
ですから、間違ったトンチンカンな事も書いているかも知れませんので・・・(笑)

このブログを始めて、龍馬関連の記事を投稿しているうちに、龍馬の家族や仲間達の事が気になりだしたのが切欠です。

実際に自分の目で見てみると、土佐は龍馬や半平太や慎太郎達だけじゃないのに、大勢の偉人達が忘れ去られたまま放置されてるのに気がついた次第です。

ドンドンと街も住民も様変わりしており、地元民すら判らない碑や墓が多すぎる昨今。
何時か、消えていってしまう・・・・これでいいんだろうか?と・・・・

ブログを見てくれた方々が、「行って見たい!・見てみたい!」と興味を持ってもらう事が一番で、「旅の参考になった」と言ってもらえれば、嬉しい限りです。

碑は、後世の人に偉業を知って欲しいと思い建てるのだし、お墓はこの世に生存していたと言う証。

誰の碑や墓が「大事!」で「大事じゃない!」って事はないがです。
全て「歴史の証拠物件」です。
もっと、「知って」・「見て」・、「足を運んで」貰えるようになれば、良いのになーと・・・・。

大そうに聞こえるでしょうが、ただそれだけの思いで、仕事の合間に探し廻っています。


この場を借りまして、改めてお礼申しあげます。
中平様、色々ありがとうございました。

また、何か新たな情報があれば、お教えいただけると嬉しいですきに。

2010/04/21 (Wed) 08:51 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 中平 様へ

当方の、2010年04月18日の返信のコメントに、誤りがありました。

> 井口事件の事から始まって、池田虎ノ進・中平忠次郎さん達の御先祖に辿り着けて・・・。

正確には、池田(中平)忠次郎さんが養子に入った先の、中平家の御先祖と書かなければいけないですよねー。
失礼しました。

2010/04/20 (Tue) 10:22 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 中平 様へ

> 龍馬伝では忠次郎は池田姓で出ていましたが まあ間違いではありません 池田から中平に養子に行っています・・・

その回の「龍馬伝」は見ていなかったので判りませんが、それは正確じゃないですよねー。
天下のNHKが「池田忠次郎」と流せば、多くの聴衆はそのまま鵜呑みにしてしまうでしょうねー。

> 忠次郎と一緒に居た宇賀氏・・・寺田寅彦の叔父さんにあたる事・・・寅彦さんはお父様の話は誰にもしなかったそうで・・・ただ夏目漱石には話したようで「それから」の中にストーリーの似た部分があると先日亡くなった 山田一郎氏が書かれています・・・ほんとなのかなぁ・・・

夏目漱石の方は判りませんが、子供の寺田寅彦の随筆集「渋柿」に、チョコット触れた文章があります。

安政時代の土佐の高知での話である。
刃傷事件に座して、親族立会いの上で詰め腹を切らされた十九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失神しようとした。・・・・・

此の文章が、寅彦の叔父にあたる宇賀喜久馬のことだと思います。

寅彦の父も、自分が弟を介錯したと言う精神的ショックを後年まで引きずっていたようですねー。

> 最近思うのですが 龍馬って亡くなってからも商売しているなぁ・・・

行政や観光業者だけが、「坂本龍馬」と言うブランドに縋り付いているだけじゃないですか?
何時もの事ですが・・・市民は覚めているように見えますが・・・・・。

観光地も箱物に集中するような観光事業ではなく、もっと地元を巻き込むような”本物”を見て欲しいと思っています。

実際、「龍馬博」の各テラスや桂浜・高知城には人は増えていますが、交通の便が不便な「田中良助邸」や「和霊神社」、「丹中山」等は静かなものですよ。

観光客に魅力的なプランを提示出来てない証拠じゃないでしょうか。

土佐の山々には、歴史上大事な偉人達が大勢眠っています。
そっとしておいて欲しいと思う御遺族もいらっしゃるでしょうが、逆にスポットを当ててあげることが、今日の我々が彼らに答えてあげられる、唯一の感謝の念でもあるがではないかと思うのですが・・・・・。
”此処にこんな人が居るよ!、こんな人が居たのか?”と知ってあげることが供養でもあり、地元民が郷土の偉人達を知る切欠にもなり、もっともっと高知に愛着を持てる子供たちも増えるのではないでしょうかねー。

> 来年からは 「土佐のおまんらあでやりよ わしは天国で見ゆぜよ」ですかねえ

まさに、その通りですよ。
もっと言えば「ええ加減にワシの名前を使うて商売するがはやめとうせ。迷惑じゃき。」と言いよるがじゃないかねー。

ところで、差し支えなければ一つお教えいただきたいのですが。

池田寅之進・中平(池田)忠次郎さんの「池田家」は、池田忠三郎・佐之助(土居家に養子)・陽三郎達とは、姻戚関係なのでしょうか?

2010/04/20 (Tue) 09:53 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 中平氏の御子孫様へ

> そうです、そうです 今年桜が咲いていた頃・・・・・
> 格禄没収があり・・・男の子を女の子として育てていた・・・なんて聞いた事があります・・・
> 現在 過去帳が虫食いで残っているだけです・・・それがこのお墓の人物から始まっているのです・・・

そうでしたか、格禄没収後、我々には判らぬ様な大変な時期もあったのですねー。

> お墓の本を出されている山本泰三(やまもとたいぞう)さんと言う方で(記憶間違いかも)こちらのお墓と北山のお墓を案内した事でした・・・

間違いなく、山本泰三は「土佐の墓」と言う本を出されている郷土史家の方ですねー。

現在、土佐の山々に眠る偉人達や勤皇の志士達の墓を探すには、唯一の手がかりになる、貴重な本じゃないでしょうか。

> こちらで我が先祖の事を色々教わりましたし・・・見せていただいて大変良かったと思います・・・

井口事件の事から始まって、池田虎ノ進・中平忠次郎さん達の御先祖に辿り着けて、此方こそ大変感謝しております。

> オンチャンさん 沢田マンションの写真を写された時 「寿し一貫」の北駐車場から 灰色に近い黄土色の服装で写されていませんでしたか?・・・・

あの時は、「寿し一貫」の駐車場には入っていませんし服装も違いますので、お人違いだと思いますよ。

取材地を探して、自転車で走り廻っております。

今回は、本当にありがとうございました。

2010/04/18 (Sun) 09:13 | REPLY |   

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