江の口川浄化記念の碑 - 龍馬達も川遊びをしたかも







[ 高知県高知市丸ノ内1丁目 ]


江の口川は、最上流まで8km程しかない”こんまい”川で、高知市の中心部の高知城の北側を東西に流れ、新堀川や堀川など市内の水路に流れ込み、はりまや橋の下にも流れはつながっちょたがです。

この写真の上流部には、子供の頃の坂本龍馬や望月亀弥太や池内蔵太、それに平井収二郎や加尾たちが”たつくり廻って遊んだじゃろうと思われる車瀬公園の傍を流れ、周囲には彼らの生家跡もあり、更には栄福寺門前事件のあった場所にもつながる川じゃき、川遊びを楽しんだ事もあると思われるがです。

この川の名を日本中に有名にしたのは龍馬達じゃのうて、ある事件があった事に端を発しちょります。

それは昭和46年(1971)に起こった「高知生コン事件」。

この上流に製紙会新があって、約20年間に及びパルプ排水が垂れ流しされた事によってヘドロが溜り、メタンガスがプクプク発生し悪臭が漂う真っ黒いドブ川となったがです。

当時の行政は会社側の味方じゃったき何の行政指導も無く、住民達は長い期間悪臭に苦しみ悩まされちょったがです。

そして事件は起こるがです。

勇士たちが実力行使に出、製紙会社の排水管にコンクリートミキサー車から生コンを流し込み、排水管を詰まらせ、廃液を道路に溢れさせ、工場側のパルプ廃液垂れ流しの実態を白日の下に明らかにしたがです。

当然、彼らは逮捕されたがですが、彼らの勇気の結果、工場は閉鎖される事になったがです。

しかし工場排水は排出されなくなっても、この川底に溜まったヘドロはその後もメタンガスを吐き出し続け、川傍を通るたんびに鼻を摘んで一気に渡らんとえらい目にあいよったがです。

その結果、行政がした事は、「臭い物には蓋」をてな訳で、「はりまや橋」周辺を埋めつくし、現在のような欄干だけが残る川の無い橋を造り「日本三大がっかり名所」を誕生させ、一方、江の口川の方も、その後何十年と西日本一水質の悪い汚名を戴く事になったがです。

今では、市民や行政の努力で水質も改善され、生き物たちも棲める環境になり、少しずつ本来の水質を取り戻しちょります。

春ともなれば、桜の見所で花見客で賑わう城西公園の傍を流れちょりまして、その傍らに「江の口川浄化記念の碑」は建っちゅうけんど、どれだけの人が気が付いちゅうろーか?。

「喉もと過ぎれば・・・・」てな程度で知らん人も居るかも知れんけんど、高知市民は忘れたら遺憾がですき。

自然を壊すがは意図も簡単なことじゃけんど、一度破壊した山河は二度と元には戻らんし、自然回復させるにも気の遠くなる時間がかかるがぜよ。
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