境目 - 身分の境目





[ 高知県高知市帯屋町1丁目 ]


道が盛り上がって坂道のようになっちゅうけんど、判るかねー。

これは藩政期の郭中と下町を分ける境目の堰のあった名残ながじゃそうです。

この堰跡の向こう側は郭中で、直ぐ向こうは「帯屋町」言うて上士たちが住んじょり「吉田東洋」の邸宅もあった場所で、その先に高知城があるが。

そんで手前側は、「細工町」言うて、職人の町やったがでして、その他には下士たちのエリアやったがです。

身分の境を隔てた堰の役目は、洪水になっても郭中側に水が流れ込まないようにした堤防でもあったがです。

普段気がつかずに歩きよった一角じゃけんど、こうした所にも土佐の身分制度の痕跡が残っちょりました。


[ アクセス ]

・はりまや橋から直ぐ。
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7 Comments

オンチャン  

Re: たっちん さんへ

ありがとうございます。

2010/02/28 (Sun) 23:09 | REPLY |   

たっちん  

これはレアな情報でした。
高知におったときは、そんなに気にしたこともなかったですけんど、離れてみて懐かしみ、オンチャンさんのブログで、色々と楽しんでいます。「竜馬伝」の下りは、いつも楽しみにしていますww。

2010/02/28 (Sun) 18:01 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 北さん へ

> 身分制度の格差・・・「龍馬伝」では随分誇張しているんだろうなと思いながら見ていますが、
> このような身分制度の痕跡を目にすると、改めて厳しい差別が存在していたんだなあと思います。

特に土佐は関ヶ原の勝ち組・負け組みが明確な藩だったがでしょう。

幕末まで山内家にとって、徳川家には恩義を感じちょったがですからねー。

それが、幕末の土佐の暗部にもなった原因の一つじゃと思うがですき。

> 昨日のコメントへの返信。興味深く読ませて頂きました。

江戸時代にゃ、他藩にもそれなりの上下関係があったようですけんど、ここまでやるかって感じがするがです。

普通なら、民の暮らしよ良くするために治水工事をしたりすると思いきや、自分達さえ良かったらエエと言う、えげつない藩政をしちょったかと思うがです。

まあ、これも勝ち組(征服者側)の成せる、事だったがでしょう。

2010/02/27 (Sat) 22:32 | REPLY |   

オンチャン  

Re: おりがみ さんへ

> こういう発見ってすごいなぁっておもいます。
> 実際に歩いてみましたよ。

何気なく気付かないで日々通り過ぎている街角の風景の中にも、残されている歴史の真実の一つじゃねー。

大事に残して行きたいもんです。

> 明日朝横浜に戻るのが切なくなってくるくらい楽しい旅になりました。

楽しい休暇だったようで、良かったですね。

2010/02/27 (Sat) 20:23 | REPLY |   

オンチャン  

Re: 初めまして。

> 質問です。京都の人とお話しをすることがありました。
> そのなかで、川を挟んで北・南に位置するかにより、料亭の格式が決まるといっていました。高知でいえば、谷 干城将軍が名付けた『得月楼』ですが、どうなんでしょうか?

あんまり料亭には縁が無い身分ですき、よう判らんがですが、江戸時代、土佐藩では芝居や料亭は厳禁されちょったようで、明治に入り解禁となったそうで、禁制が解かれると鏡川湖畔にお茶屋町・玉水新地ができあがり、 妓楼や芝居小屋では毎夜三味線や鼓の音が鳴り響き、男女が歓楽する町として賑わったそうながです。

陽暉楼も創業は明治3年で、明治11年の中秋の名月の日に熊本城から凱旋した谷千城の帰国祝いをかねて行われた観月会の際、谷千城が「近水楼台先得月、向陽花木易為春」と読んだ詩から「陽暉楼」を「得月楼」と改名しちょります。

明治維新後、鏡川の左岸(北側)にあった山内家が所有していた敷地が売却され、土佐の料亭の多くは鏡川の左岸(北側)に集中して建てられたことは事実ですねー。

ただ藩政時代の鏡川の右岸(南側)は、左岸(北側)より堤防が低く造られちょったようで、鏡川が氾濫しても北側の廊中に水が流れ込まないようにしちょったと何かの本で読んだ事があるがです。

来れも、廊中の被害を抑えるとは言え、差別の一つかも知れんがですき。

2010/02/27 (Sat) 20:12 | REPLY |   

おりがみ  

市内観光

こういう発見ってすごいなぁっておもいます。
実際に歩いてみましたよ。

大丸では京都フェアをやっていましたね。

明日朝横浜に戻るのが切なくなってくるくらい楽しい旅になりました。

2010/02/27 (Sat) 17:04 | EDIT | REPLY |   

北さん  

改めて身分制度の厳しさを・・・。

身分制度の格差・・・「龍馬伝」では随分誇張しているんだろうなと思いながら見ていますが、
このような身分制度の痕跡を目にすると、改めて厳しい差別が存在していたんだなあと思います。

昨日のコメントへの返信。興味深く読ませて頂きました。

2010/02/26 (Fri) 11:08 | REPLY |   

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