鶴田塾(少林塾)跡 - 岩崎弥太郎の人生を変えた









[ 高知県高知市長浜 ]


鶴田塾は、吉田東洋が蟄居中に開いた塾ながです。

蟄居しちょった理由は、吉田東洋が安政元年に江戸に出府中の折、山内家の親戚でもあった旗本・松下嘉兵衛に無礼を働いたと言う事なが。

この鶴田塾の門下生には後藤象二郎や福岡孝弟、間崎哲馬や小笠原謙吉などが居ったけんど、岩崎弥太郎もその一人ながです。

NHK大河「龍馬伝」でも似たような場面があったけんど、江戸で勉学に励んじょった弥太郎のもとに、酒席で喧嘩し投獄された父親の事を知り、急ぎ土佐に戻んて来て、親父の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄され、その後、安芸から追放されるがです。

追放された岩崎弥太郎は、現在の高知市鴨田に移り住み、吉田東洋のもとに入門して徐々に才能を認められていくがでして、その後、吉田東洋が藩政に返咲くと、弥太郎も土佐藩に登用され、此処で一緒に学んだ後藤象二郎からは「土佐商会」を任せられるようにもなって行くが。

それは、もう少し先のお話じゃけんど・・・・。

岩崎弥太朗にとって、ここ鶴田塾に入門した事が、その後の彼の人生に大きな転機となったと言っても過言じゃないがですき。


[ アクセス ]

・県交通バス「長浜・桂浜・方面行で、長浜出張所下車。
 東に約250m
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2 Comments

オンチャン  

Re: みや さんへ

吉田東洋の考え方は、幕府に忠節を尽くす「佐幕」の考え方じゃったけんど、富国強兵論などを主張した藩政改革を行うたがです。

それに、封建制度が根強い身分制度改革を行い、岩崎弥太朗や間崎哲馬らの身分の低い者でも門人に加え、やがて藩の役職に就けるようにし、身分に関係なく平等に教育の機会を与えた事は、評価される功績じゃと思うがです。

「一藩勤皇」思想を受け入れてもらえんと悟った土佐勤皇党・武市瑞山は、自身の主張を実現させるために吉田東洋を暗殺するに至るのですが、もし暗殺されていなかったとしても、「時間の問題」だけかも知れん。

なぜなら、吉田東洋の取った藩政改革には、土佐藩保守派にも容認出来かねる政策じゃったからですき。

そのため武市瑞山の吉田東洋暗殺にも、保守派の黙認があったとも言われちゅうがです。

じゃき、「時間の問題」と書いたがは、何れ失脚(無いかも知れんけんど・・・)か暗殺はされたと思うがです。

土佐勤皇党にも、土佐藩保守派にも、目障りな人物じゃったがでしょう。

ただ、鶴田塾の門人達が明治維新後、新政府の元で活躍した事は事実で、その功績は大きいねー。

2010/02/23 (Tue) 06:44 | REPLY |   

みや  

郷士と上士を共に学ばせるとは、その当時の土佐ではあまりなかったのではないでしょうか。

実力のある者には門戸を開くということでしょうか。
吉田東洋が明治初年まで生きていたら、土佐藩はどうなっていたでしょうね。

2010/02/23 (Tue) 05:46 | REPLY |   

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