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伊達兵部の墓 - 伊達騒動の関係者









[ 高知県高知市吸江 ]


地域によっちゃー見えんかったかも知れんけんど、昨夜(2010.2.20)、テレビ朝日系列で「樅の木は残った」をやりよったねー。

山本周五郎原作の「樅の木は残った」と言う、江戸時代に起こった仙台藩のお家騒動「伊達騒動」をテーマにした歴史小説ながです。

その主人公の、原田甲斐を田村正和が演じちょりました。


一般に伊達騒動と呼ばれるのは、この寛文事件を指す。

伊達綱宗の嫡子・亀千代(後の伊達綱村)が藩主になると、大叔父にあたる伊達兵部少輔宗勝が後見として実権を掌握した。

伊達兵部は家老の原田甲斐らと藩権力の集権化を行い、地方知行制を維持しようとする伊達氏一門と対立する。

一門の伊達安芸宗重と宗勝の甥にあたる伊達式部宗倫の所領紛争が起こると伊達安芸は幕府に一件を上訴する。

1671年(寛文11年)3月27日、騒動の裁判を行うため大老の酒井忠清邸に原田甲斐や伊達安芸ら関係者が召喚される。

原田甲斐はその場で伊達安芸に斬りかかって殺害する。

だが、原田甲斐も安芸派の柴田外記朝意と斬りあいになった。

原田甲斐は柴田外記によって斬られ、柴田外記もその日のうちに原田甲斐からの傷が元で死亡した。

関係者が死亡した事件の事後処理では原田家や兵部派が処罰されるが、伊達家は守られる事となった。

伊達騒動 - Wikipedia


この事件で原田甲斐は極悪人とされちょりますが、山本周五郎は「樅の木は残った」の中で、仙台藩が結果的には安泰となった事と、甲斐の墓の微妙な位置に注目し、仙台藩分割を狙う幕府から仙台藩を守った忠臣として描いちょります。

事件の責任を取らされた、伊達兵部は土佐に流罪となったがですが、高知城の西・小高坂に田畑10ヘクタ−ルを埋めて屋敷を作り幽閉され、58歳で亡くなっちょります。

伊達兵部さんも、幕閣の陰謀の嵌められた、可哀想な人じゃったがですねー。

五台山には立派な墓石が建っちょり、位牌は五台山の麓にある・吸江寺にあるがです。

因みに、柴田外記朝意は、土佐にも関係がある人物ながです。


土佐の戦国大名である長宗我部氏の家臣、佐竹親直の子。

母は長宗我部元親の娘で、元親の孫にあたる。 

父は、主君・長宗我部盛親(元親四男)に従い、大坂夏の陣に参戦して討死。

幼い朝意は母と共に逃れたが、伊達勢に捕らえられ、母子ともに仙台に送られた。

面会した伊達政宗は朝意の非凡な容貌を買い、仙台藩一家衆(重臣家)の柴田氏(柴田宗朝)の家督を継がせ、米谷城主となった。

1660年には奉行職に登用されていることなどから、藩の政治にも関与していたらしい。

江戸時代に土佐で編纂された「南路志」には、長宗我部盛親の実子であると書かれている。

曰く、柴田宗朝が妻を亡くし、再婚相手の紹介を仙台藩京都留守居役に頼んだ際、紹介されたのが盛親の元妻で、宗朝はその連れ子を気に入り、養子として家督を譲った、とされている。

旧長宗我部家の縁で、香宗我部重親(長宗我部元親の甥の養子、香宗我部親泰義孫)を仙台藩に仕官させている。

柴田朝意 - Wikipedia


なんと、長宗我部盛親に所縁のある人ながじゃき。


[ アクセス ]

・MY遊バスだと、五台山展望台で下車し、400m程下がった場所にひっそりと建っちょります。
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