岡田以蔵



[ 高知県高知市はりまや町3丁目 ]


岡田以蔵は天保9年(1838)郷士・岡田義平の長男として生まれちょります。

父・義平が城下の七軒町に移り住んで、生まれたそうながです。

「七軒町」ちゅうがは、岡田以蔵の家の他に6件の家が並んじょったそうで「七軒町」と呼ばれちょったと。

そんで、土佐勤王党の密書等には岡田以蔵のことを指す暗号「七以」がつかわれちょったそうです。

現在は痕跡を残す物とて無いがですが、江の口川の右手側が七軒町じゃったがです。
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4 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: マメシバ さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

> 七軒町は丁度「高知病院」の辺りだったのですね。
そうですねー。

> 当時は、どんな風景が広がっていたのでしょうね。
江ノ口川の南側が城下になるき、七軒町と言うくらいですから民家も七軒しかなくて、周りは水田か湿地帯じゃなかったのかなーと思ったりします。

> 最後に、武市半平太の切腹時の装束についてですが、
> 当時の作法では、白の裃ではなく、浅黄色(薄い藍色)の無紋麻布製の
> 裃が正式だったようです。
> つまり、は映画とかテレビ用の演出なのですね。
> なお、くわしくはWikipediaに載ってますので、そちらを参考になさってください。

情報ありがとうございます。
確かに、白装束ちゅうがは映画・テレビの影響で、間違った誤認です。

> おんちゃんさんのおかげで、色々なことを知り
> 町の見え方が変わりました。>
> 歴史ある町に暮らせて幸せだと思います。
> これからも応援しますね。

そう言うてもらえるがが、一番嬉しいがやき。
ありがとうございます。

2010/07/14 (Wed) 22:12 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

マメシバ  

お返事が大変遅くなりました。

パソコンが中々使えずお返事すっかり遅くなりました。ごめんなさい。

七軒町は丁度「高知病院」の辺りだったのですね。

当時は、どんな風景が広がっていたのでしょうね。

嬉々として、武市道場に通う以蔵の姿を想像しながら眺めました。

あと、先日「雁切橋」の処刑場跡も再び行ってきました。

何も残ってはいませんが、川のせせらぎは当時と変わらないのでは
と思い、暫く聞き入ってしまいました。

「龍馬伝」でも以蔵がとうとう処刑されてしまいました。(泣)

川原の風景がリアルで胸に迫るものがありました。

最後に、武市半平太の切腹時の装束についてですが、

当時の作法では、白の裃ではなく、浅黄色(薄い藍色)の無紋麻布製の
裃が正式だったようです。
白だと、あまりにも凄惨な光景になってしまうという理由からだとか。
つまり、白装束は映画とかテレビ用の演出なのですね。

なお、くわしくはWikipediaに載ってますので、そちらを参考になさってください。

いつも、ブログ楽しみにしています。

おんちゃんさんのおかげで、色々なことを知り
町の見え方が変わりました。

歴史ある町に暮らせて幸せだと思います。

これからも応援しますね。

2010/07/14 (Wed) 19:15 | REPLY |   

オンチャン  

Re: マメシバさんへ

如何やったぜよ。
当時の面影を残すもんは、なんもないけんど、参考になったかねー。

2010/05/05 (Wed) 20:26 | REPLY |   

マメシバ  

ありがとうございます

七軒町、捜してました。
おかげさまで、やっと場所が分かりましたo(^o^)o

行ってみます♪

2010/05/01 (Sat) 18:39 | REPLY |   

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