山内容堂誕生地碑



[ 高知県高知市追手筋2丁目 ]


土佐藩15代藩主・山内豊信で、隠居してから名乗った号「容堂」の方が通り名になっちゅうがです。

12代藩主・山内豊資の弟・豊著の子で、ようは分家の子で母は妾で大工・平石氏の娘じゃったき、平民の血が流れちゅうがです。

本来は藩主の座に付ける身分じゃなかったけんど、如何言う訳か、たなぼた式に転がって来たのが藩主の座じゃったがです。

本人の生い立ちから考えたら、もっと下の身分の気持ちも理解できて当たり前じゃと思うけんど、さもあらず。

スリーダイヤモンドに秘められた野望 - 岩崎弥太郎 2010年01月21日でも書いたように、維新後の容堂には「かつて家臣や領民であったような身分の者とは馴染まず」と言う様な殿様意識は消えんかったがですかねー。
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