岩崎弥太郎 - 暴富の秘密













[ 高知県安芸市井ノ口 ]


1770年頃、岩崎家の先祖が郷士になったようじゃけんど、その後の飢饉や一揆などの影響で、曽祖父・岩崎弥次右衛門の時にやむなく郷士株を売ったそうで、この頃より武士の最下層である地下浪人に成り下がり、貧困生活を送ったようながです。

弥太郎自身は、幼い頃から頭が良かったようで、14歳頃に藩主・山内豊熈にも漢詩を披露した程の才があったがです。

彼の本当の才能が発揮され始めるがは、当時蟄居中でじゃった吉田東洋の塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得てから。

ところで家系図を見よったら岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助の妻は、後藤象二郎の娘ながやねー。

如何も、ここに三菱の基礎の秘密があるねー。

そもそもは、慶応3年(1867)に、後藤象二郎が岩崎弥太郎を土佐藩の土佐商会主任・長崎留守居役にし、坂本龍馬の海援隊の経理を担当させちゅう。

龍馬亡き後の明治元年(1868)、長崎の土佐商会が閉鎖されると、開成館大阪出張所(大阪商会)になるがですが、この時点で、龍馬の遺産が懐に転がりこんだと見ちゅう。

翌年10月、大阪商会は九十九商会と改称して海運業に従事するがです。

明治6年(1873年)に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で、土佐藩所有の船3隻を入手し海運業を始め、土佐藩蔵屋敷に九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立し、岩崎弥太郎の個人企業になるがよ。

船も土地も、全て土佐藩絡み・・・・・濡れ手で粟じゃねー。ぷん!ぷん!匂うぜよ。(爆)

この原資(金)の出所は?????  

この時に、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて、今日の三菱のマークが誕生するがです。

個人企業になって、最初に膨大な利益を得たがは、維新政府が全国統一貨幣制度に乗り出した時なが。

それまでのお金言うたら、藩札言うて各藩がそれぞれに発行しちょったがですが、統一して今でも使われている「円」に切り替えたがです。

この時、情報を事前に入手した岩崎弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせる方法で、莫大な利益を得るがです。

実はこの情報を流したのも、新政府高官になっちょった後藤象二郎じゃとか・・・・・。

今でいうインサイダー取引ながですき。

それに十万両の資金は何処から????

諸説あるけんど、約40~45億位になるようじゃねー。

これを機に明治10年に起こった、西南戦争では政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受け、戦争終結の残った軍需品の処分までまかされ、一挙に莫大な利益を得るが。

何でも当時のお金で1300万円、現在の価値に直すと900~1000億じゃそうです。

この時の、暴利の裏には後藤象二郎をはじめ、最大権力者・大久保利通大隈重信といった政府要人の後ろ盾があったがです。

明治11年(1878)大久保利通が暗殺され、明治14年(1881)に大隈重信が失脚すると、強力な後援者を失なった三菱に対抗して、伊藤博文や井上馨らが肩入れした”三井”が対抗して来るがです。

三菱(旧薩摩藩) × 三井(旧長州藩)

維新後も対立の構図は変わらんがです。

龍馬がもし、薩長同盟をやらなかったら、もっと悲惨な幕末後になっちょたと思う。

NHK大河「龍馬伝」の冒頭のパーティーで、「国賊」と叫びながら暴漢が侵入して来るシーンがあったけんど覚えちゅうかよ。

あれは明治10年(1877)の西南戦争以降、新政府の仕事を受注することで大きく政商として発展を遂げた弥太郎が「国あっての三菱」という表現をよく使ちょったがです。

それに対して当時の農商務卿・西郷従道が「三菱の暴富は国賊なり」と非難したがに対して、弥太郎は「三菱が国賊だと言うならば三菱の船を全て焼き払ってもよいが、それでも政府は大丈夫なのか」と反論し、国への貢献の大きさをアピールしたと言う事ながです。

三菱が軍閥と言われるゆえんは、此処にあるがです。

パーティーのシーンの明治15年(じゃと思うけんど)には、政商として膨張する三菱に対して世論の批判が持ち上がっちょった訳ですねー。
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1 Comments

みや  

いつも詳しいお話ありがとうございます

>弥太郎自身は、幼い頃から頭が良かったようで、14歳頃に藩主・山内豊熈にも漢詩を披露した程の才があったがです。

本来藩主に拝謁できない郷士でありながら、このようにできたのは余程の秀でた才能があったのでしょうね。



>ところで家系図を見よったら岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助の妻は、後藤象二郎の娘ながやねー。

大河の中では今のところ弟については話はないですが、家老の娘と姻戚関係になるのは、大きいですね。



>この時に、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて、今日の三菱のマークが誕生するがです。

こうやってあのマークができたのですね。最初に見たのは三菱鉛筆でした


>この時、情報を事前に入手した岩崎弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせる方法で、莫大な利益を得るがです。

ほんとに頭が切れる人ですね。


>これを機に明治10年に起こった、西南戦争では政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受け、戦争終結の残った軍需品の処分までまかされ、一挙に莫大な利益を得るが。

戦争成金ということでしょうか。

>三菱に対抗して、伊藤博文や井上馨らが肩入れした”三井”が対抗して来るがです。三菱(旧薩摩藩)= 三井(旧長州藩)維新後も対立の構図は変わらんがです。

こういう背景があったのですね。勉強になります。


>龍馬がもし、薩長同盟をやらなかったら、もっと悲惨な幕末後になっちょたと思う。

もし龍馬が生きていたらどうだったでしょうか。
政府の要職に就くとは思えませんが、また違う明治が描かれていたように思います。







2010/01/21 (Thu) 17:46 | REPLY |   

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