横浜城址(水口神社) - 子孫にライオン宰相・浜口雄幸

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[ 高知県高知市横浜西町字水口山 ]


この水口神社は、元は土佐の中世から戦国時代の初期にあった横浜城という城址ながでして、水口城とも呼ばれちゅうがです。

室町時代の永正14年(1517)に津野氏の家臣じゃった水口弥惣左衛門が福井玄蕃と戦こうて全滅した時、逃げ延びた子供が成人して、此処に小城を構えたがが始まりのようなが。

永禄3年(1560)、長宗我部国親が宿敵・朝倉城主の本山氏を攻めた長浜の戦いの際、本山氏に仕えちょった水口次郎左右衛門のこの横浜城も攻められ鴻の森城等、本山氏配下の城と共に落城したがです。

この「長浜の戦い」で、長宗我部元親が初陣を飾っちゅうがです。

そいて、敗れた水口次郎左右衛門は五台山の唐谷と言う所に落ちのびて隠れ住んだそうで、長宗我部氏が滅び山内一豊が土佐に入国した後、山内家に仕えるようになったがじゃそうです。

そんでこの水口神社は、延宝5年(1678)に子孫の水口三郎衛門ちゅう人が城八幡を創建し、宝暦7年(1757)に水口安右衛門さんが神社を再興して祖先を合祭するようになったがじゃそうです。

城八幡ちゅうがは、土佐じゃお城のある(あった)場所に、八幡様をお祀りしちゅう祠があるがです。

じゃき何処の城址に行っても必ず、こんまい祠があると思うけんど、それが城八幡ながよ。

浦戸城跡にも、朝倉城址や高知城にもちゃんとあるが。

高知城の場合は、城八幡のある場所が、南北朝時代の 大高坂松王丸の居城「大高坂城跡」じゃないかと思うがですが・・・・。

そんで、五台山の唐谷に落ちのびた子孫に浜口雄幸がおるがです。

「浜口雄幸」言うたら、「男子の本懐 - ライオン宰相 2009年08月06日」」でもご紹介しちゅう、城山三郎・原作の「男子の本懐」で有名なライオン宰相と呼ばれた”第27代内閣総理大臣”ながよ。

ライオン言うても偽もんの小泉とくらべなよ、あっちはただの髪型だけじゃき。

水口家から田野町の濱口家に養子に行って、「浜口」姓になっちゅうがです。

行った時は、鳥居から入る者を拒むように蜘蛛の巣がびっしりとはっちょったき、鳥居の脇から坂道を登って行ったがですが、頂上までは約20mほどの高さじゃと思うが。

頂上にはこんまい建物があり、中に城八幡が鎮座しちょりました。


[ アクセス ]

・南はりまや橋バス停から、県交バス「みませ」行き、もしくは「桂浜」・「高岡」行きで約15分。
 「横浜」バス停下車、徒歩で約230m。
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