岩崎弥太郎像 - 龍馬伝もう一人の主役

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[ 高知県安芸市矢ノ丸2丁目 ]


来年のNHK大河「龍馬伝」の放送まで、あと1ヶ月のうなったけんど、話は岩崎弥太郎の視線から見た坂本龍馬の生涯を描いちゅうがやき、そう意味ではこの岩崎弥太郎は「龍馬伝」のもう一人の主役になるがです。

岩崎弥太郎に関しては多くを語らずとも、大概の人が「三菱財閥」の創始者じゃと理解しちゅうがじゃと思うけんど、生まれたがが此処「安芸」じゃと言う事は意外に知られちゃーせんがです。

岩崎家も「元」郷士の家で、地下浪人といわれる立場だったがでして、決して裕福な環境に育っちゃーせんがです。

ただ頭は良かったようで21歳のとき藩士・奥宮周二郎の従者となって江戸へ出、帰国後、土佐藩の執政・吉田東洋を知り後藤象二郎と親しく交わるようになるがです。

坂本龍馬が長崎に創った「亀山社中」が動き出し、その海援隊が土佐藩の外郭機関となると、後藤象二郎により藩の商務組織・土佐商会主任、長崎留守居役に抜擢され「海援隊」の経理を担当するようになるがです。

明治元年、「土佐商会」が廃止されると岩崎弥太郎個人に受け継がれ、三菱商会と改名し今日に至っちゅうがです。

三菱のマーク「スリーダイヤのマーク」は、岩崎家の家紋「三階菱」と土佐藩山内家の家紋「三つ葉柏」じゃと言われちょります。

そもそも岩崎家の家紋「三階菱」は甲斐武田氏の「武田菱」ににちょりますよねー。

と言うのも、岩崎家は「甲斐武田」の末裔だとも言われちょり、先祖が土佐の「安芸」氏が滅びるまで仕え、その後「長宗我部」氏に仕えたと言う事ながです。


[ アクセス ]

・土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線で「安芸」駅下車、徒歩約400m。
 (安芸市内の散策には、駅でレンタルサイクルを借りたら便利じゃき。)
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