永源寺 - 土佐藩家老・乾氏の菩提寺

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高知県南国市比江


高札にもあるように、この寺は山内一豊と一緒に土佐に入って来た、乾備後和三に与えられた領地にあった寺が元で、後に火災により類焼しちょりますが、再建された際に現在の永源寺と改名されたようじゃねー。

土佐の「乾」氏と言うたら、板垣(乾)退助を連想する人が多いがじゃないかと思うけんど、違うちょります。

元は同じながですが、土佐には”清和源氏美濃土岐氏支流”と”清和源氏甲斐武田氏支流”の、2系統の「乾」氏が在るがです。

板垣退助が、「乾」から先祖の「板垣」姓を名乗ったがは、清和源氏甲斐武田氏支流の方の板垣駿河守信方の孫、板垣加兵衛正信を祖とするからです。

此方の「乾」氏は、清和源氏美濃土岐氏支流の土岐頼貞の四男・道謙の子孫「土岐久右衛門重頼」から始まっちゅうようなが。

土岐久右衛門重頼の本拠地から見て、土岐氏の居城のあった稲葉山城が北西(乾)の方角じゃったき、乾と改めたそうながですねー。

乾備後和三は、慶長6年(1601)に「山内」姓を賜り、土佐に入った後も家老職を勤めちょりますが、子孫は板垣退助と同様に戊辰戦争の際、元々の旧姓「土岐」氏に改姓しちょります。

そんで此の寺は、乾一族の菩提寺になっちょります。


因みに坂本龍馬の系譜も、元はこの「乾」氏と同族の”清和源氏美濃土岐氏支流”「土岐氏」の庶家(宗家の一門としての待遇を離れ、主家と祖先を同じくする家臣として位置付け)で「明智左馬助秀満」の末裔と言われちょります。


【 追記 】  後日、「くろしお」さんより戴いた、情報です。

「乾和三(1563-1633)―乾和成(1610-1670)―乾信勝(1628-1672)―乾信宣(1656-  )―娘(安積彦之進祥任の妻)―娘(乾加助直建の妻)―乾正聡(  -1805)―乾信武(1778-1810)―乾正成(1802-1860)―板垣退助(1837-1919)」と二人の女性を介して、乾和三と板垣退助は血縁でつながっちょります。

板垣退助の9代前の先祖だそうです。!




[ アクセス ]

・JR後免駅から領石行バス「国分小学校前」下車、徒歩約15分
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