へんろ石 6 - 中司茂兵衛と言う、凄い人の碑じゃった

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[ 高知県高知市追手筋2丁目  ]


最近、自転車で走りよっって知らん記念碑や石碑らしき物が眼に入ると、こじゃんと気になるようになったがです。

この石碑も、高知城傍の大通りに面した所に建っちゅうけんど、これまで気にもせず通り過ぎよったがですが、偶々近くを通ったき、ついでに写真に収めたがですが、何の石碑じゃろうと思うてよう観たら、明治28年に建てられた四国霊場・第30番安楽寺への道標の「へんろ石」じゃったがですが、彫られちゅう文字を見てビックリしたがじゃき。

石碑には「百四十五度目為供養。周防国大島郡椋野村。中司茂兵衛義教。」とあったが。

百四十五度?」と言う事は、此処、土佐に145回も来たがかよ?、と興味をもってチックと調べてみた所、この「中司茂兵衛義教」と言う人は凄い人じゃった。


中務茂兵衛…四国巡拝に人生ささげる(山口県周防大島町) : 語り継がれる人びと : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)より抜粋

中務(なかつかさ)茂兵衛は本名を中司亀吉といい、1845年(弘化2年)または47年に生まれたとされている。
生家は周防国大島郡椋野村(現周防大島町椋野)の庄屋で、周辺の村々はもとより、島外にも土地を持つ富豪であった。
65年、茂兵衛は恵まれた環境を捨てて家を出る。
原因は恋愛を反対されたためと伝えられるが定かではない。
しばらくは放蕩(ほうとう)に明け暮れた茂兵衛だったが、四国へ渡り仏教に帰依すると遍路巡拝の旅に出発した。
茂兵衛の遍路はこの時から1922年(大正11年)に没するまで一生続くことになる。
その数なんと280回。
他にも富士山、大峰山、葛城山に入峰しての修行や西国三十三観音巡礼も経験している。
歩き遍路が当たり前の時代。
毎年数回にわたる巡拝は驚異的な記録である。
茂兵衛が残した納経帳は生涯に2冊。
いずれのページも真っ赤に染まり、朱印の文字は判別できない。


慶応2年(1866)18歳(もしくは20歳)の頃に故郷を離れ、 以後一度も故郷に帰る事もなく、75歳(もしくは77歳)で亡くなるまでの約55年あまりの一生を、遍路の旅じゃったがです。

慶応2年(1866)言うたら、坂本龍馬が土佐を脱藩して東奔西走をしゆう幕末の動乱期じゃ。

2009年11月29日「池内蔵太邸跡 - ワイルウェフ号で遭難」の記事の、薩長同盟が成立し、龍馬が寺田屋にて負傷後に鹿児島へお龍さんと新婚旅行に出かけた年で、龍馬が暗殺される前の年じゃねー。

当時、各藩は尊皇じゃ佐幕じゃ言うて大揺れに揺れちょった政情不安な時代に、何を思ったのか中務茂兵衛さんは、四国巡礼に身を捧げる旅に出たがです。

それも四国霊場の遍路旅だけで生涯に280回とすると、単純に年4~6回は四国巡礼を繰り返した事になるがです。

四国巡礼の総距離は遍路道を通った場合約1300Kmと言われちゅうき、生涯に歩いた距離は36.4万km以上・・・・・。

えーと、「地球一周」が約4万kmじゃき、地球を約9周以上した事になり、月と地球の距離が約50万kmじゃき、月まで総距離の約7~8/10の距離に相当するがです。

正確には巡礼の旅は四国霊場だけじゃないき、もっと長い距離になるがでしょう。

今のように車も道路の状態も良くない時代に、並大抵な事じゃないよねー。

気の遠くなるような距離で、ただただ脱帽です・・・・・。

大正11年(1922)年に、高松で波乱万丈の生涯を閉じた時も281回目の遍路の途中で、前のめりに倒れていたそうながです。

江戸時代の遍路旅は、途中で行き倒れになっても故郷に連絡する必要もなかったようで、その土地の仕来りにそって葬られ、特にお金が無いお遍路さんは無縁仏として処理されたそうです。

茂兵衛さんの遺骨は故郷に埋葬されたそうじゃけんど、名前はないそうながです。

「生まれきて 残れるものとて 石ばかり 我が身は消えし 昔なりけり」

自らの生涯を詠ん句そのものですね。


そんで、この碑が「百四十五度目為供養」であるならば、他にもあるがじゃないかと思うてこっちも調べたら、中司(もしくは中務)茂兵衛義教の建立総数は88度目から記念して建てられ始め、存在が確認されちゅう石碑は243基とあったがです。

刻まれた文字までよう見ちゃーせんかったき、見落としちょったがじゃけんど、”南国土佐へ来てみいや”に「へんろ石」として投稿した記事の中にも、記念の石碑があったがです。

2009年09月28日「へんろ石 - 1」は「壱百五十七度目」157度目

2009年10月12日「へんろ石 - 4」は「貮百五十六度目」256度目

2009年10月26日「へんろ石 - 5」は「壱百六十度目」 160度目

こりゃー、土佐路にあとどれくらい在るか判らんけんど高知だけの話じゃないき、四国4県が協力して大事に保存せんといかん広範囲に渡る文化財の一つぜよ。

殆ど見向きもされず路傍にひっそりと佇む石碑の中にゃ、こじゃんと価値のある文化財がまだまだいっぱいありそうじゃねー。


[ アクセス ]

・土佐電鉄にて「高知城前」電停下車、徒歩直ぐ。
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