望月亀弥太邸跡 - 池田屋事件に遭遇

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[ 高知県高知市西町  ]


天保8年(1837)白札郷士・望月団右衛門真澄の二男として生まれちょり、兄・清平は坂本龍馬と子供の頃から仲がようて大の親友じゃったき、弟の亀弥太も子供の頃からの遊び友達の一人じゃったがでしょう。


文久元年(1861年)、兄・望月清平と共に武市半平太の尊皇攘夷思想に賛同して土佐勤王党に加盟し、文久2年(1862年)10月、尊攘派組織五十人組の一人として、江戸へ向かう旧藩主山内容堂に従って上洛する。

文久3年(1863年)、藩命を受けて幕臣・勝海舟の下で航海術を学び、その後、坂本龍馬の紹介で勝が総監を務める神戸海軍操練所へ入所するが、元治元年(1864年)、藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。

長州藩の過激尊皇志士達と交流を続けていたため、池田屋事件に遭遇した。

池田屋を脱出した望月は幕府方諸藩兵によって取り囲まれて深手を負い、かろうじて長州藩邸に辿り着いたものの中へ入る事を許されずに門前で自刃した。

坂本龍馬も勝海舟も、その死を嘆いた。

望月亀弥太 - Wikipedia




兄・望月清平の名は、土佐勤王党加盟者名簿に残っちゅうけんど、弟の亀弥太の名は見当たらんがです。

2008年12月26日「山北両烈士の碑 - 安岡覚之助、嘉助兄弟」でご紹介した「安岡嘉助」も同じように名前がないが。

ただ彼の場合は「吉田東洋暗殺」の実行犯の一人じゃったき、党員の関わりを偽装するため削除されちゅうがやろうけんど、亀弥太の名前が削除されちゅう理由はよう判らんがです。

現在、望月亀弥太邸跡は池内蔵太邸跡同様に名残を残す物はなんちゃーないがでして、写真の駐車場辺り(2009.11.30現在も存在)がそうじゃとされちょります。

ちょうど電車通りから来ると、水路を隔てて車瀬公園の北側辺りになるがでして、望月亀弥太邸跡の写真左に見えちゅう樹がある所が車瀬公園じゃき判りやすいと思うぜよ。

因みに、池内蔵太邸跡からは、西に約90mじゃき。
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