野中兼山邸跡の碑 - 本来の跡地に建てられちゃーせん理由は



[ 高知県高知市丸ノ内1丁目  ]


土佐藩2代藩主・山内忠義の時代、土佐藩の財政安定を推し進め、漁業・捕鯨などの産業や、土木事業等、多方面で才覚を発揮し藩の財政を確立した人ながです。

その野中兼山邸跡の碑が、高知城追手門前の堀に渡された通路の上に建つちょります。

場所が場所だけに、誰が見ても建ってる場所が不自然じゃと思うよねー?

本当は下部にある地図の、藤並公園と書かれた辺りが本来の跡地じゃそうです。

今は藤並公園になっちゅうけんど、昔ここに藤並神社があったそうながです。

文化3年(1806年)に、土佐藩10代藩主・山内豊策が、野中兼山邸のあった場所に、初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主・忠義を祀るために高知城内に造営したがが藤並神社ながです。

途中の経緯は省略して、今は山内神社に合祀されちょり、その跡が藤並公園と高知県立文学館になっちゅうがです。

観光客は、碑が建ってたら鵜呑みにして信用するよねー。

じゃー如何いて此処に建っちゅうか?


此処からは、オンチャンの勝手な推理ながです。

土佐には、三大怨霊が眠っちょります。

①「七人御崎」の怪異で有名な、土佐最大の怨霊とされる、長宗我部時代の「吉良親実」の霊。

②山内家に対する最大の怨霊とされる”いごっそう和尚”・「薫的和尚」の霊。

③山内家に対する怨霊とされる「野中兼山」の霊。

まあ、怨霊とされるのは、死後に関係者らに何らかの災いが降りかかった原因を、祟りとして恐れたがです。

じゃき、山内家や一部の上士達以外の、悪いことをしちゃーせん心やさしい人らーには、何の災いも無いがですき。

これまで「野中兼山」は、土佐の発展のために多大な功績をあげて来た人じゃと書いちゅう事は間違いじゃないけんど、何時の世も人間やりすぎたら妬まれたり疎ましがられたりするがです。

「野中兼山」もそうした一人で、犠牲者でもあるがです。

土佐藩2代藩主・山内忠義が隠居して3代藩主・山内忠豊になると、「兼山公」の行政に不満を持つ政敵が画策し、掌のひらを返すように弾劾を受けて失脚し、その3ヶ月後に「兼山公」は49歳の若さで亡くなっちょります。

けんど、山内家のした仕打ちはそれだけじゃのうて、「兼山公」の死後追い討ちをかけるように、他の一族全員をも高知県の西部・宿毛の地に幽閉するがです。

その時、娘の「婉」はわずか3歳じゃったがです。

その幽閉期間がなんと40年間という長い・・・・・・。

理由は、「野中家」一族を滅ぼすため、男系が絶えるま続いたと言う、陰湿極まりない行為を行ったがです。

詳しいことは、”野中兼山”で調べたら、いっぱいあるき・・・・。

それに、小説やけんど大原富江の「婉という女」を読んだら、凄まじい内容が描かれちょりますき。

そんで跡地は没収されて、前書きでも書いたように初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主・忠義を祀るための藤並神社になったがです。

そう言う経緯があって、近世になって碑を建てるに当って、本来の跡地は土佐藩主の霊を祀った神社跡になちゅうし、石碑と言えども一度失脚させた人間で山内家に仇名す怨霊の名前を刻んだ石碑を、山内家の威光の残る高知城の敷地内に置く事すら忌み嫌ったがやないがですろうか。

そんな訳じゃき、「野中兼山邸跡の碑」は差しさわりの無い、高知城の敷地外(一応、玄関である追手門の外じゃけんど)で、実際にあった屋敷に近い場所であり、尚且つ神社跡から遠ざけて、置きたくないけんど嫌々置いちゅうと言うがが真実かもねー。

此処からはまっこと真実じゃけんど、高知市比島町にある「清川神社」は、山内家に恨みを持つ「長宗我部元親」・「薫的和尚」、そして「野中兼山」の霊を鎮めるために建てられた神社ながです。

それだけ、この3人に対しては、山内家は忌み嫌い恐れ慄いたがじゃとか・・・。

あくまでも勝手な推測も含め、深読みしすぎやろーか。


[ アクセス ]

・土佐電鉄「高知城前」電停下車、徒歩直ぐ
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2 Comments

オンチャン  

Re: 婉という女

後世の我々からしたら、何と酷い仕打ちじゃと思うのが普通じゃねー。

しかし、時代時代に起こった数々の悲喜劇は、全てが極悪非道な悪魔のような仕業とも言えんと思うがです。

「婉という女」の野中兼山の失脚も、彼の政策にも原因があるかも知れんけんど、本当の所は徳川幕府の時代に諸藩で起こった数々の悲惨な世継ぎ問題と同様、土佐藩・山内家の家督相続に関わる対立の結果じゃと思うがです。

確かに、男系が絶えるまでと言う陰湿な刑罰は異常じゃと思うけんど、毒殺や暗殺、それに親・兄弟・親族等の同族間の争いも、権力闘争だったんですから。

嫌いな敵は根絶やしにしたいと思うのが権力者じゃき、戦国時代の戦でも城の落城と共に、女・子供まで全て抹殺し、滅ぼし尽くしたがです。

そうした悲喜劇の中で、これまでの歴史が積み重ねられちゅうがです。

>それでもわたし高知が好きでいていいと思っているですよ。

そうです、オンチャンもI LOVE高知!じゃき(爆)

2010/01/16 (Sat) 21:34 | REPLY |   

おりがみ  

婉という女

昨年、大原富枝記念館を訪れました。
「婉という女」・・それから「正妻」、体中の力を抜かれるような感じで読みました。
あらゆる事象に陽と陰があり光のあて方で見えようも違ってまいりますね。

それでもわたし高知が好きでいていいと思っているですよ。

2010/01/16 (Sat) 15:26 | EDIT | REPLY |   

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