朽木峠越え 6 - 峠を下り林道まで

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さあ、三間川に向けて下山開始。

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早々に、地元の人らーの設置した、立札が眼に入る。

”梢を渡る風は 夢の時代へと 志士達の 歩を速めた”

エエ言葉じゃねーと、ウン、ウンと一人頷く・・・・・。

多くの志士達が、この峠を倒幕と言う二文字の夢に向かって、駆け抜けて行ったがですねー。

その多くは、仲間たちに夢の実現を託し、志半ばにして散って行ったがです。

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関所門を抜けると、三間川への下りは急勾配になっちょります。

この道を、往時は荷を背に積んだ馬が行き来しちょったがです。

坂道には、無数に石灰石がゴロゴロと転がっちょり、少々歩きづらいがですが、この辺りは東から西に延びる優良な石灰石帯ながよ。

4億年以上前のシルル紀の地層帯が広がっちょり、生まれたての日本列島の海底で育ったサンゴや三葉虫など化石の宝庫ながで、特に横倉山は有名なが。

ナウマンゾウの名で有名な、エドモンド・ナウマン博士も、佐川・越知・日高エリアの地質の重要性を世界に紹介したくらいですき。

朽木峠もそうした石灰岩帯の一部じゃき、東側にも石灰の採石場があり、また北側には国内最大規模の露天掘りによる採掘をされゆう鳥形山や、西には四万十川の源流域の不入山や天狗高原のある四国カルスト大地へと繋がっちゅう地域ながです。

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この下の方から伸びちゅう杉の木の写真を見てもうたら、おおよその傾斜が判ると思うがですが、如何ぜよ。

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此処にも、立札があった。

”三間川へ下る維新の一滴は 谷の音から せせらぎへ 川へと その型を整えて行った”

脱藩して行った個々の志士たちも、やがては一つのうねりとなって、倒幕運動へと進んで行くがですねー。

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ここら辺りから下、数十メートルが唯一危険地帯ながです。

この上からが、三間川の源流域の沢になるがじゃろうか、この日は水は流れちょる形跡はなかったけんど、雨が降ると通れなくなるがじゃろうねー。

無道さに置かれただけの丸太が、渡されちょりました。

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丸太橋を渡って右に数メートる行くと、道が崩壊しかけちょって、張り巡らされたロープを伝って進むがです。

左の方に、通って来た丸太橋が写っちょります。

多分、大雨等の際に崖がえぐられたがでしょう。

この三間川を下った国道近くに友人が居るがですが、下山時立ち寄って話を聞いた所、往時はもっと広い道じゃたそうだ、との事です。

人の往来がのうなって、自然と道の両側が崩壊していってると言う事で、掘って整備したら、往時の道の姿が出てくるかも知れんがです。

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この辺りから、ごつごつとした石が少なくなって、周りに笹が茂っちょり、歩きようなるが。

峠からの葉山側の道筋には、此処かしこに、こうした石が詰まれちょり、道標なのか旅の安全を祈願しちゅうがでしょうか。

特に初めて歩く山道などは、人が往来しゆう道じゃと判り安心できるがですき。

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此処にも、立て札。

”その肩に 朝の 木漏日が 優しかった”

きつい峠越えをして来て、道も少し緩やかになり、木々の間から木漏れ日が差し込み、周囲の明るさが増しちょります。

この山は自然林と言うよりも植林帯じゃき、往時はもっと背の低い杉の木が並んじょったかも知れんねー。

と言う事は、この辺りから下の葉山の村落やこれから向かう梼原方面が開け、日差しが降り注ぎよったかも知れんがよ。

じゃったら、余計に峠を抜けて来たと言う思いがましたかも知れんねー。

現在は、まだ下界も行く先の風景も見えんがです。

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いきなり地図には無い林道に出ます。

急な下り坂も此処まで、ジグザグに降りてきたからじゃろうか、地図で見る勾配よりは緩やかじゃった。

写真は、降りてきたのとは逆に、葉山側からの登り口を指す、標識です。

此処から右数メートル先の林道の左側に、降口があり、更に沢筋を下って行くが・・・・・。


標高は大よそ標高200m強位の所じゃないかと思うがですき、一気に300m程を下山したがでした。

此処は、高知県高岡郡津野町三間川
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