南学発祥の地



[ 高知県高知市御畳瀬 ]


南学とは、日本では土佐における朱子学をいう。海南学派とも呼ばれる。室町時代末期(天文年間)に儒者・南村梅軒が土佐で朱子学を講じたことを祖とする。

吸江庵の忍性、宗安寺の如渕、雪蹊寺の天質、吉良宣経などに伝えられ、更に天質に学んだ谷時中が江戸時代初期に南学の学風を固めた。

谷時中の門人に野中兼山・小倉三省・山崎闇斎らがいたが途絶。

山崎闇斎の門弟となり、闇斎の没後はその弟子浅見絅斎に師事した谷秦山が、南学を復興させた。

この南学は朱子学の単なる解釈学ではなく、義理名分と実践を重んじたものであり、土佐藩学の中心であった。

南村梅軒が講義した講堂跡と推測される高知県高知市の弘岡中薬師堂付近に、『南学発祥の地』の石碑が建つ。

南学 - Wikipedia


生年不詳じゃけんど室町末期の儒学者「南村梅軒」と言う僧が、天文年間に周防国(現在の山口県)の争乱から逃れ「一条氏」を頼って土佐に入り、この地を収めちょった「吉良氏」に仕えるようになったがじゃそうです。

「南村梅軒」は、もとは周防国「大内氏」に仕えて学問を身につけちょった人じゃったき、儒学や禅について「吉良氏」の当主じゃった「吉良宣経」に講義し、それが”雪蹊寺”の「天質」や”宗安寺”の「如渕」・”吸江寺”の「忍性」らに伝えられ、更に「谷時中」が南学の基礎を固めたとされちょります。

南学の教えは,「山崎闇斎」や「野中兼山」らに影響を与えたとも言われちゅうがです。

この場所が「南学発祥地」とされちゅうけんど、疑問視されちゅう面もあるがじゃそうですが、この周辺がかっては「吉良氏」の領地じゃった事は間違いないがですき、この近辺じゃったがじゃないがですろうか。

「南村梅軒」は、「吉良氏」が「長宗我部氏」に討たれると土佐を去ったとの事ながです。


[ アクセス ]
・高知駅から高知県交通バス「宇佐方面・宇佐行」で約40分、「御殿」バス停近く
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1 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: いかちゃん さん

オンチャン(とさっぽ)">

コメントありがとうございます。

2010/11/11 (Thu) 18:54 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

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