此の道の先に、八田沈下橋はあった - 仁淀川

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[ 高知県吾川郡いの町八田 ]


タイトルの通り、此の道の先には八田沈下橋があったがですけんど、地元の人以外でどれだけの人が、覚えちゅうやろうか。

先日、コーヒー工房「ゆう」のオーナーと話をしよって、チョコット話題になって思い出したがです。

オンチャンの記憶にあるがは、1970年位の事で、いっぺんだけその沈下橋を渡った事を思い出したがです。

ただ、当時の沈下橋言うたち、今日の四万十川に架かる沈下橋のように観光名所でも何でもなかったき、普通の生活道路としての存在でしかなく、ただあったと言う記憶以外何も無いがです。

「八田沈下橋」は、1955年8月 (昭和30年)に、対岸の土佐市天崎間に架かっちょりました。

沈下橋が取り壊されたがは1994年頃のようで、交通事情に伴う「八天大橋」の完成以降に、保存か取り壊しかで論争があったらしいけんど、結局取り壊されたがです。

詳細は判らんがですが、現在の川幅から測ると、おおよそ300m強の長さがあったようなが。

現存する高知の沈下橋で、四万十川に架かる最長の「佐田沈下橋」が全長:291.6mじゃき、残っちょたら、高知で最長じゃったかも知れんし、四万十川と並んで清流「仁淀川」観光にも一躍を担うちょったかも知れんねー。

取り壊された理由の一つには、洪水時に無理に渡ろうとしたクルマが流されて死亡事故が起こった事も揚げられるようながです。

元々「沈下橋」は、洪水が起こっても流されないようにと考案された橋なが。

当然水量が増えれば水の抵抗を軽減するため、水中に水没するように造られちゅうき、水流の抵抗を抑えるべく水面からの高さも低く、橋の両サイドも端を丸くし欄干も無いがです。

あくまでも洪水時を想定して造られた橋が「沈下橋」ながよ。

じゃき洪水時には、何処から何処までが橋じゃかも、橋幅かも判らん状態で、渡ると言う行為自体無謀で、今じゃったら「自己責任」そのものじゃと思う。

車の通行は出来んように、橋入口に車止めをして、保存して欲しかったと思うががが、オンチャンの気持ちなが。

またもう一つの理由が、洪水の際「水を塞き止める危険がある」との事じゃとも聞いた。

けどこの理由は、先に書いた「沈下橋」の存在理由に矛盾しちゅう。

単なる、行政側の”取り壊し”いや”破壊”理由でしかなかったのでは・・・・・

自然に逆らわないよう先人達が工夫し造った「沈下橋」

人々の生活に解けこんじょった「沈下橋」

立派な生活遺産・環境遺産・風景遺産・歴史遺産と幾らでも言えそうな、後世に残せる構造物じゃったがですが、何処の誰が決断したか知らんけんど、壊されてしもうて今は無い!
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