野中兼山の偉業の一つ - 八田堰

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[ 堰の下流から見た仁淀川 ]

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[ 堰から取水した弘岡用水の始まりの地点 ]

[ 高知県吾川郡いの町大内 ]


仁淀川の河口から8km程の所に、八田堰はあるが。

2009-07-10 [県内] 香南市 「野市台地を潤す - 史蹟・三又」や、2009-06-30 [県内] 香南市「我が国最初の掘り込み港湾 - 手結港」等でもご紹介した、土佐藩の家老「野中兼山(1615-1664)」が築いたがです。

今の堰は、昭和に入って改修され、石の間をコンクリートで固められちゅうけんど、元の堰は石をそのまま積みあげた”空石積み”じゃったそうです。

堰自体も、堰の上手と下手を段差を付ける方法じゃのうて、斜めに緩傾を付けたもので、通常の堰じゃったら魚は”魚道”を通って遡上するけんど、この八田堰は魚も自然に堰を登ることが出来るような構造になっちょります。

堰の構造も変わっちょって、直線じゃのうて川を斜めに築き、下流の方にカーブしちゅう「湾曲斜め堰」と言うがですと。

この形状の利点は、自然条件を利用し洪水に対しても比較的安定で、用水の取り入れもし易いがじゃと。

野中兼山が手がけた堰は他には、物部川の「山田堰」や仁淀川の「鎌田堰」などがあるがです。

八田堰で堰きとめられた水は、「弘岡用水」に落とされ、弘岡平野を潤し、春野から第34番札所種間寺の横を流れ、第33番札所雪蹊寺のそばを通って浦戸湾に流れちゅう。

堰が出来たことによって、此の辺り一帯の洪水を防ぎ、広岡・春野一帯に水路(運河)が張り巡らされ、水は不毛だった大地を潤したがです。

今では、豊かな水が潤し、ハウス園芸栽培地帯が広がる”春野”は、「土佐のデンマーク」とさえ呼ばれちょります。
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