くじらナイフ

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[ 高知県高知市 ]


高知は「土佐打ち刃物」が有名ながで、その技術を生かした「くじらナイフ」が、日曜市などで売られちゅうけんど、結構観光客に人気があるようながです。

オンチャンらー子供の頃は、鉛筆は小さいナイフや小刀で削りよったき、よう手を切ったりしよったねー。

そういう経験が、本来は「怪我をしたら痛い!」き、相手に怪我をさせたら遺憾とか言う風な、「痛みを知る」切欠になっちょったと思うがです。

それが、”小型の鉛筆削り器”が出て、手回しの鉛筆削りやら、電気鉛筆削り主流がなって行って、シャープペンシルが出てきた頃にゃ、鉛筆をナイフや小刀で削る事自体が忘れ去られて行ったがです。

と言うか、親達が、「子供に”ナイフ”は危ない!!」と言う風潮もあったことは否めんがですが・・・・・。

その結果の延長線に、平気で他人を傷つけたりする事を何とも思わないような行為が、つながっちゅうようにも思うがです。

飛躍しちゅう考えかもしれんけんど、原因の何%かはあると思うぜよ。・・・・・また反論が来るかな??

この「くじらナイフ」は、高知市内の小さな子供を持つ女性から、「鉛筆を削らせたいので、先の尖ってないナイフを作って欲しい」という依頼を受けた事から作られるようになったと聴いちょります。

何でも「駄目!駄目!」じゃのうて、如何して「駄目」なのか教えることも、大事な教育じゃないがですろうか。

エエ親御さんじゃねー、と思うたがですき。

今じゃー、この「くじらナイフ」もシリーズになっちょって”マッコウクジラ”型や”ニタリクジラ”型など形も様々でデザインもエエがです。


高知県は南海道に属し日本書紀の時代より土佐国と呼ばれていました。

全国でも屈指の温暖多雨地であり、古くから良木に恵まれ多くの木材を搬出してきました。

それに伴って、山林伐採に必要な打刃物が古くから造られました。

また鎌倉時代後期、徳治元年(1306)大和国より移住の刀鍛冶、五郎左衛門吉光派が室町末期(1580)まで繁栄し、打ち続く戦国の乱世で武具刀剣等の需要に応じて居りました。

又彼等刀鍛冶の影響は農、山林用打刃物鍛冶とも技術的にもあいまって多くの鍛冶屋が土佐国内に点在していました。

天正十八年(1590)土佐一国を総地検した、長宗我部地検帳に、399軒の鍛冶屋が居たことが記されています。

土佐刃物の本格的な隆盛は、江戸時代初期土佐藩の財政窮迫による、元和改革(1621)により始まります。

藩は森林資源の確保や、新田開発の振興政策を遂行し、家老職野中兼山の農、山林収益策により農業林業用打刃物の需要が拡大し土佐打刃物の生産量品質共、格段に向上しました。

こうして鍛冶屋の切磋琢磨の貢献が、他に比類なき土佐打刃物を生み出しました。

土佐打刃物は多少の機械化は取り入れたものの、江戸時代の技術と伝統は、現代平成の世まで受け継がれています。

(高知県土佐刃物連合協同組合 資料参考)
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