まんじゅうや - 近藤長次郎邸跡

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[ 高知県高知市上町2丁目 ]


高知城下で饅頭屋「大黒屋伝次」の子として生まれ、万延1(1860)年,藩士”由比猪内”の従僕として江戸に上り、”儒学”・”洋学”・”砲術”をび、文久3(11863)年藩庁より学問精励と器量を評価され”苗字帯刀”を許され、「勝海舟」の門弟となり”神戸海軍操練所”で航海術を修業したがです。

「坂本竜馬」の長崎の”亀山社中(海援隊)”に投じ,慶応1(1865)年、長州(萩)藩のために軍艦・ユニオン号購入を斡旋、長州藩主より報償金を得、同時に英国留学の機会を提供された。

社中に諮らずに長崎を出帆しようとしていることが発覚、掟に従い切腹して果てた。

<参考文献>吉村淑甫『近藤長次郎』


長次郎は龍馬と同じく狭い日本にいるよりも世界に羽ばたきたかったようで、ユニオン号引渡しで長州藩から得た謝礼金をイギリス商人の「トーマス・グラバー」に渡した上でイギリス船に乗り込んでイギリスに留学しようとしたがですが、天候悪化により出港が遅れたためにその計画が露見するがです。

結局、社中の規約に反した罪で”切腹”を言い渡されたがです。

後年、「龍馬」の妻である「お龍」の回顧録「千里駒後日譚」の中で、”長次郎”の訃報を聞いた”龍馬”が「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」とその死を悼んでいたという風に書かれちょります。

享年29歳。


[ アクセス ]
・土佐電鉄「上町二丁目」電停下車、徒歩直ぐ
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