「長宗我部」氏累代の本拠地 - 国史跡・岡豊城跡

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[ 高知県南国市岡豊町八幡・岡豊山 ]


南国市街の北西部、香長平野の北西端にある、標高97mの岡豊山が、四国の覇者「長宗我部氏」累代の居城じゃったがです。

鎌倉・南北朝・室町時代と、此の近辺に勢力を誇った「長宗我部」氏じゃけんど、18代目の「兼序」の時に、「本山・吉良・大平・吉良」氏らの連合軍によって攻められ、落城し、「兼序」も自刃しちゅうがですが、落城の際、嫡子「国親」は幡多中村の「一条房家」を頼って落ち延びたがです。

それから10年後、永正15年に「一条房家」の取り成しで旧領に復し「岡豊城」に入り、これを足掛かりに”土佐の有力大名”へと成長し、「一条」氏、「本山」氏、「安芸」氏とともに土佐を四分するがです。

天文18年には山田城主「山田元義」を攻め滅ぼし、永禄3年には朝倉城の「本山茂辰」を攻め、「長浜」・「浦戸」の合戦で勝利しちゅう。

「長宗我部国親」の死後、後を嗣いだ「長宗我部元親」は、天正2年(1574年)主家じゃった「一条兼定」を”豊後”に追放し「土佐」を平定し、この城を拠点に天正13年(1585年)には”四国”を統一をしたけんど、「羽柴秀吉」の進攻に降伏し、”土佐一国”に押し込められたがです。

その後、大高坂城(今の高知城)を経て、天正19年(1591年)に「浦戸城」に本拠を移すがですが、それまで此処は「長宗我部」氏累代の本拠地で、「四国制覇の足がかり」になった城跡です。

 引用1・・・・・岡豊城 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E8%B1%8A%E5%9F%8E 


 引用2・・・・・土佐岡豊城 : http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/okou.htm




[ アクセス ]
・はりまや橋、JR高知駅より歴史民俗資料館行き終点下車(1日3便)
・領石、奈路、田井方面行き学校分岐(歴民館入口)下車

・JR土佐大津駅より徒歩50分
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