男子の本懐 - ライオン宰相「浜口雄幸」

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[ 高知県高知市吸江・五台山公園(展望台のある場所) ]


「ライオン宰相」言うても、今日の社会全体をハチャメチャにするきっかけを作った、ヘアスタイルだけの偽・ライオンとは、政治に対する姿勢が違うちゅう。

偽・ライオンは”自民党”を壊すと言いながら壊せず、結果的には”日本”そのものを崩壊の崖っぷちに導いちゅう。

ライオン宰相と呼ばれた「浜口雄幸」が”第27代内閣総理大臣”を就任した3年間の間には「世界大恐慌」が起き、現在に似いっちゅう時代背景じゃったがです。

時代は、「第一次世界大戦後」の国内好況が既に終わりを告げちょった。

それに戦後の国際社会において、「アメリカ」が大塔に立つのは明らかじゃと思い、「我国の貧しきを以て米国に追従せんことを到底思ひも寄らず」、また「我国は国力の関係上仮令一切を犠牲とするも英米二国の海軍力に追従することを能はず」とまで言うちゅうがです。

この時点で、当時の米・英の国力において、対決することは不可能であることを理解しちょったがです。

しかし軍部は「国防費増額」を要求しちょったがですが、「第一次世界大戦後」の平和の到来を確信し、国家予算の多くを国防費に消費することを良しとせず、軍拡から軍縮に転換し、国民負担を軽減する政策取るがです。

そのため「金解禁」を断行するがですが、当時の日本経済の趨勢を無視して、旧平価(円高水準)において解禁したため、結果的には輸出業の減退を招き、その後のより深刻なデフレ不況を招く事になるがです。

ただ彼の取った、「戦争から平和へ」、「軍拡より軍縮へ」の”積極財政”から”緊縮財政”へという政治家の信念を貫き通し、「身命を失うとも、奪うべからざる固き決心なり」の覚悟で改革に臨み、公明な政治、軍縮と不況打開に精力を注ぎ込んだ姿勢は高く評価されちょります。

これらの思い切った断行が右翼からの反感を買うて、昭和5年(1930年)11月14日、広島県福山市郊外で行われる陸軍の演習を視察する予定で、「昭和天皇」の行幸に付き添いを兼ねて、特急「燕」に乗車するために東京駅を訪れるがですが、第4ホーム(現在の東北新幹線改札付近)で愛国社社員の佐郷屋留雄に銃撃されるがです。

一命は取り留めたがですが、翌・昭和6年(1931年)3月に、野党政友会・鳩山一郎らの執拗な登院要求に押され、まだ傷の癒えない身で無理をして衆議院に登院し、5ヶ月後に亡くなったがです。

「浜口雄幸」が首相に就任するに際、家族に語った言葉は「すでに決死だから、途中、何事か起こって中道で斃[たお]れることがあっても、もとより男子として本懐である」と言うちょり、その政治姿勢も「所信をつらぬき、一点の汚点も残さない政治家」と讃えられちゅうがです。

この彼の言葉をタイトルにした、城山三郎著「男子の本懐」では、彼の政治に対する生き様が描かれちょります。

「姿勢が終始一貫」しちょって”ブレン”かった本物のライオン宰相「浜口雄幸」は、土佐の偉人じゃと思うがです。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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