東洋のルソー - 中江兆民生誕地

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[ 高知県高知市はりまや町3丁目 ]
弘化4年(1847)に土佐国高知城下の下山田町部屋町の、土佐藩足軽の家に生まれ、文久元年(1861年)14歳の時、父の死により家督を相続し足軽の身分となっちゅう。

翌年「土佐藩校文武館」に入学し、慶応元年(1865)土佐藩の藩費留学生として長崎に出てフランス語を学ぶがですが、この時、「龍馬」は長崎で”海援隊”を組織しちょったき、出会ちゅうようながです。

その後、幕府の語学所学頭・平井義十郎からフランス語を学び、慶応3年(1867)江戸に出たのち、兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳を務めるがです。

明治4年(1871)にフランスへ留学し、明治7年(1874)年に帰国すると、自身が創設した仏蘭西学舎を中心に、フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となるがです。

そのなかでも「ルソー」を日本に紹介した功績は大きく、「東洋のルソー」とも呼ばれるようになったがです。

「兆民」は号で、「億兆の民」と言う意味じゃそうです。

また「秋水」とも名乗っちょたようですけんど、この号は弟子の「幸徳秋水」に譲り渡したそうなが。


[ アクセス ]
・土佐電鉄「高知橋」電停より、徒歩約5分
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