野市台地を潤す - 史蹟・三又

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[ 高知県香南市野市町西野 ]


一寸前の、「手結港」でもご紹介した江戸初期の土佐藩家老「野中兼山」。

その「野中兼山」が、近くを流れゆう「物部川」より高い場所にある野市台地の新田開発にと開いた用水路が、現在でも現役で活躍しちゅうがです。

1644年(正保元年)に、物部川に中井堰(現・上井堰)を造りそこより導水した水は、父養寺アジサイ街道沿いを通り、ここに流れて来るがです。

その水をこの史蹟「三又」で分水する事によって、「十善寺溝」・「町溝」・「東野溝」の三つの大きな溝と小さな二つのみぞ「原田溝」・「武市溝」の五つの流れに分水されてゆくがです。

おかげで、荒地であった野市台地は安定した農業用水が確保でき、豊かな田畑が広がる穀倉地帯として繁栄して来たがです。
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